<群馬県>~おっさん3人冬の旅・3日目①(水澤観音) | 花咲く旅路

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2016年正月明けの、会社の先輩とのおっさん3人「新潟紀行」、

 

初日は村上市を観光し、「瀬波温泉」に宿泊、

 

2日目は、胎内市の「乙宝寺」、新発田市の「新発田城」、「清水園」を観光、

 

新潟市に戻って、お寿司を食べて、先輩のIさん宅に宿泊、3日目を迎えました。

 

 

 

 

 

おっさん3人の旅はこの日までで、最終日は、Eさんは仙台に帰り、

 

私は新潟から東京への帰路に、前から訪れたかった群馬県渋川市の「水澤観音」に行きます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

8時にはお世話になったIさん宅を出発して、歩いて新潟駅に向かいます。

Iさん宅は、駅近なので楽ちんです♪

 

 

 

 

 

 

 

さよなら、新潟!

 

 

 

 

 

 

8時30分台の「上越新幹線」で一路、群馬県へ。

 

 

 

 

 

 

新潟はこの日もあまり天気は良くなかったですね。  さすが雪国。除雪の水しぶき。

 

 

 

 

 

 

新潟市内は雪ありませんでしたが、「越後湯沢」のあたりは、やはり豪雪でした雪の結晶雪の結晶雪の結晶

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一転、群馬県も高崎市に近づくと好天に晴れ   高崎駅  には9時30分過ぎに到着。

 

 

「上越新幹線」は1時間ほどの乗車でした。

 

やっぱり新潟に比べると、高崎はまだ暖かいですニコニコ

 

 

 

 

 

 

 

「高崎駅」からは、10時スタートの「伊香保温泉」行きのバスで、

「水澤観音」へ向かいます。

なんと「高崎駅」で乗車したのは自分ひとりでした。

「伊香保温泉」に行く人がいるかなぁ~と思いましたが、

「渋川駅」から行く人の方が多いのかな!?

 

 

 

 

 

 

 

                       ここには「箕輪城跡」があるんですよね~

バスは「箕郷」を通ります。          ここもいつかは訪れたい場所です。

 

 

 

バスの道中、車窓にはたくさんの「道祖神」がみられました。

 

 

 

 

 

 

                       前方に「水澤山」。

群馬は山が雄大ですね~            もう、「水澤観音」はすぐそばです。                         

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

1時間ほどで到着しました。

 

水澤観音

 

「水澤山」の東麓に位置します。

「坂東三十三ヶ所の」十六番札所となっています。

本尊は国司「高野辺家成」の三女「伊香保姫」の持仏であったと伝わる、

木造の「十一面千手観世音菩薩」で平安時代末期に造られたものです。
寺伝では、592年~628年の「推古天皇」の時代、

「推古天皇」、「持統天皇」の勅願により、

「高句麗」の高僧「恵灌僧正」によって開基されました。

寺房300を超える大寺へ発展したことや、戦禍に遭って焼失したことが、

中世の「神道集」に記されており、現在地の南東700mにある「水沢廃寺」が、

前身の寺院跡だと言われます。

10世紀を中心とする山岳寺院跡で、標高580m程の緩傾斜地に四段の平坦地を造成、

古瓦が散布し一部礎石も残っています。

江戸時代に入ると幕府から庇護され朱印状を賜り、

「伊香保温泉」の湯治客や札所巡りの巡礼者が盛んになり隆盛しています。
現在の「観音堂」は、1787年の再建で、

近世建築特有の華麗さと中世建築様式の面影を残した五間堂です。
境内には「六角二重塔」、「円空」作の「阿弥陀如来坐像」、

1787年建立の「仁王門」、樹齢約700年に達する「観音杉」があります。

門前の「水沢うどん」も有名で、「水沢観音」の参詣者向けに、

上州産小麦と水沢山の湧き水で手打ちうどんをつくって出していたことが起源といいます。

 

 

 

 

 

仁王門

 

 

仁王像

 

 

 

 

風神・雷神像

 

 

 

 

 

 

 

1787年建立。

三間一戸楼門で彫刻に彩色を施し、1階天井には江戸時代狩野派の絵師で、

”上野法眼”の称号を持つ「狩野探雲」の絵が見られます。

近世建築特有の華麗さを遺憾なく発揮し、上下の均整のとれた楼門として、

採光の位置を占める名建築です。

楼門の上には、「釈迦三尊(釈迦如来・文殊菩薩・普賢菩薩)」が安置されています。

入母屋、銅板葺、正面軒唐破風、三間一戸、八脚楼門、木部構造材は朱塗り、

壁面部黒色塗り、彫刻部極彩色、上層部花頭窓付。

 

 

 

 

 

 

 

 

境内へ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

観音堂

 

 

 

 

 

 

 

本尊に「千手観音」を祀る坂東札所観音堂の典型的な様式です。

1787年の建築と思われ、正面向拝、棟唐破風は近世建築特有の華麗さを表し、

全体的には中世の建築様式を残す手法を用いています。

 

 

 

 

 

 

 

 

六角二重塔

 

 

 

 

 

 

 

1688年~1704年の「元禄年間」の建立。

「地蔵堂」、「六角堂」とも呼ばれ、「六地蔵」を六角輪転の台座に安置し、

二層に「大日如来」を安置した独特の形式になります。

下層の1辺は2,727m(9尺)、上層の1辺は1,364m(4.5尺)と半減しており、

上層柱間が下層柱間の2分の1となる「多宝塔」の木割に似ており、

相輪も多宝塔形式に類似しています。

 

 

 

 

 

 

 

鐘楼

 

1975年(昭和50年)の建立。

「大和の鐘」と命名されました。

 

 

 

 

 

 

子安大明神

 

 

 

 

 

 

 

 

                  元三慈恵大師

        大師堂      壱千年御遠忌記念碑

    

 

 

 

 

 

 

子育水子地蔵尊

 

 

 

 

 

 

 

灯籠。

    

 

 

 

 

 

 

 

万葉歌碑            如意輪観音  句碑

 

 

「万葉歌碑」

”い香保嶺に 雷な鳴りそね 吾が上には

故はなけども 児らによりてぞ”
伊香保の山から発生する雷様よ、怖い音をして鳴らないでおくれ、
俺には何のことはないのだけれど、
俺の好きなあの娘が怖がるから。

 

「句碑」

”大杉の根に 燃ゆるわがこゝろさへ ゆく空を 待たねばならず”

傍らに「観音杉」が立ちます。

 

 

 

 

 

 

観音杉

 

樹齢およそ700年と推定される大杉。

目通り周囲5.14m、高さ38m。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(つづく~)