いっとき、とても人気化していた「お伽話」ですが…
現代文明の致命的な問題点について明確な示唆がありました。
しかし、今日の議論は、そこの「論点」から必ずズレていきますよね?
いま、ビジネスで「情報商材」としてトークを「売る」者はいますが…
本来の「言論人」というのは、滅多にお目にかかれません。
そういう人がいると、及川さんのように「人物BAN」されますからね…
つまり、いまの時代…言論人は目立ってはいけない…
逆に言えば、
人々は忘れてはいけない…
何度も「復習」しなければいけない。
ボケーっとテレビを見るように授業を受けていた学生時代の感覚ではいけません。
「ながら視聴」のように「消費」する態度ではダメなのです。
自分から情報を「獲りに行く」という能動性が必要。
アニメとか見たら、ちゃんと内容を
自分のことばで伝えられるようでなければ…
ブログって、そういう「言語化」の練習をするのに、とってもいいのに…
なぜ、しない?
怠けすぎですよ。
(--) なんか、ジブリや新海監督の作品を連想しますね…
さて、きょうは、もうひとつオマケで必見の動画…
イルミは、人々に選ばせてくる…『瘤取り爺さん』のように…
そのときに人々は、「意地悪爺さん」と同じ選択をしてしまう。
つまり、人類滅亡の引き金を引いているのは自分たち自身なのです。
だから、「正直爺さん」と同じ選択をしなければいけない。
すると、将棋のハメ手筋がそうであるように…
「正確に応じれば自然勝ち」という流れに変わるのである。
みんな、欲望や感情が「自分」だと思っているが、
そうではないと当ブログは言ってきた。
それは、あなたという池の水面にたっている波でしかない。
本体は、その波の下にある…
そこまで「降りて」いったときに、あなたは「真の自分」と出会うことになる。
あなたの欲望や感情こそ「虚」であり、「無」なのである。
それを手放す…
その先に、仏の悟りがあり、
阿耨多羅三藐三菩提の境地があり…
めちゃくちゃヤバイ、幸福な、光の世界が現れる…
摩訶般若波羅密心経…
「摩訶」とは、いまどきでいえば「めちゃヤバイ」である。
般若は知恵。波羅密は解脱に至ること。心経は「こころ」についての真理。
実際、体験すると「めちゃくちゃヤバイ」そうである…
⇒ 角由紀子さんが語る究極の儀式。開眼した人間の境地がヤバすぎる
こちらも美しくなりたい男女にオススメ…
失うことは、かなしいことだけれども、
残念なことに
与えられたものの大切さを知ることができるのは、
それを失ったときというのが、ほとんどなのだ。
そして、摩訶不思議なのは…
手放せば手放すほど、もっと大きなるものが与えられるということだ。
神様が、もっといいものを与えてくれようとしているのに、
君たち人間の両手は、いつもガラクタで塞がっている…
そうやって、君たちはどれだけチャンスを失ってきたことか…
喪失体験はフリーレンのこころも少なからずカサツかせた…
「失う悲しみ」から逃れたくて、つい、そっけなくしてしまっていた。
でも…
失った分だけ、与えられてきたことに彼女はきづいていく…だんだんと…
仲間を失ったから、師匠フランメを得、魔法の研鑚に向かうことになり…
ヒンメルたちとの別れが、新しい仲間との出会いにつながってきた…
失ったものを「取り戻そう」とするのは、案外、よくない…
たとえば、健康を害したときに「治りたい」というのは「取り戻したい」のである。
だが、大抵は年齢や生活習慣が限界値に来ている場合があり、
いちど手放して、再設定する必要があるのかもしれない。
たとえば…
がむしゃらにひとりでがんばるのではなく…
上手に周りに手伝ってもらう働き方に転換するときかもしれないのだ。
いつしか…
新しく与えられるものに対する興味や期待が勝るようになっていく…
最強の魔法使いが、ここに新たに誕生した…