人民という民主主義の敵 | バカ国民帝国日本の滅亡◇FooL JAPAN!◇日本人人間化計画

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【著作権フリー・人はだれの所有物(奴隷)でもありません。身も心も、著作物も所有物ではありません。所有し、支配してはならないものです。】幸徳秋水死刑100年の怨念、乃木希典自刃100年の無念を引き継ぐ”呪い”のブログ…

日々、自由であろうとし続けることで、自由でありうる…と、丸山真男…

 

 

同様に…日々、国民であろうとし続けることで、国民でありうる…のであるし…

 

日々、主権者であろうとし続けることで、主権者であり得る……のである…

 

 

憲法12条にある「不断の努力」をしている国民がどこにどれだけいるのか?

 

 

憲法違反の国民は、主権者でもなければ、国民でもない。ブタのように生き、ブタのように食われて死ねばよいだけだ。

 

サルのように生き、サルのように騒いで、一生を送ればよいだけだ…

 

 

そんな畜生どもに、民主国家は作れない。

 

法の支配する、個人主義の国も作れない。

 

 

強権統治の警察国家以外に、国を国たらしめる方法がない。

 

 

そのときに、ロバート・キヨサキ氏が『金持ち父さん』で、「金持ち」という種類の人間になることで、金持ちになれると述べた。

 

「金持ち」には、詐欺師や運だけの成り上がり者、「金持ち」にコバンザメしているだけの寄生虫が混じっているが、不断の努力によって成功をおさめた人たちがいる。もちろん、そういう人たちも、けっこうアコギだったりするのではあるが…

 

しかし、キヨサキ氏が言いたかったのは、金持ち父さんと貧乏父さんとでは、信じているものが違い、常識が違い、考え方や発想が違い、そして何より”生き方”が決定的に違うということであった。

 

「金持ち父さん」は、無一文どころか借金を背負ったところからでも金持ちになれるが、「貧乏父さん」は、出世して行政局の幹部に昇りつめても、ひとつ間違えば貧乏になり、そのまま這い上がることもできないのだと…

 

現実を見れば、「金持ち父さん」とは、「1%」たちのことであり、「貧乏父さん」とは「99%」のことである。

 

「99%」であり続けるかぎり、人民は永久に「貧乏人」なのであり、「畜生」「虫けら」なのであり、人間ですらないのである。

 

 

そもそも「99%」どうしの間では、民主的な対話や話し合いが成立しない。

 

したがって、「1%」に対しても対話や話し合いができない。

 

 

自分のことも相手のことも理解できないし、説明できないからである。

 

 

何とかそこまでいったとしても、次には課題を見つけ出し、拾い上げ、解決策を作って実行していくということができない。

 

そこまでできる者は稀であり、すでに”リーダー”である。

 

 

「1%」からみても、相手にできるのは、この”リーダー”くらいのもので、あとは使い物にも話し相手にもならないのである。

 

 

そして、これまで社会主義的実験は、ほとんどが失敗した。人民が人間よりもサルやブタに近いからだ。

 

犬の飼い方を誤ると、犬が”飼い主よりも自分の順位の方が上”と錯覚して手がつけられなくなるが、あれである…

 

それで、「礼」とか、「法」とかが、どうしても必要になる…

 

 

社会保障によって、人間としての待遇を与えられても、「ありがたい」ことは、いずれ「あたりまえ」のことになり、横着を始める。

 

「みなさまのおかげ」で、自分が人間として扱われているのに、そのうちに「オレ様をだれと心得る!人間様なるぞ!」とやり始める。

 

 

そんな人民を統治するのは、哲人や聖人には務まらないから鬼畜外道の専制君主、殺生関白にやらせるしかない。

 

 

あべしんぞうが現在、総理大臣なのは、必然というわけである。

 

 

 

実際、民主政権になっても統治はうまくいかなかった。ここで再び「あべ打倒」を果たしても同じ徒労の繰り返しであろう。

 

なのに、人民は「戦い方」を改めない。

 

 

また、戦いもしない”タダノリ”国民は、相変わらず”タダノリ”のままである…

 

 

それでも、生存競争の現実は、なくならないし、待ってもくれない…

 

「破壊的創造」というイノベーションとグローバリゼーションの津波が全世界に波及していて、対応に一刻の猶予もない状況がある。

 

 

ビジネスや行政の現場の第一線で戦う者たちは危機感を抱いて、日々政府にも訴えている。

 

いわゆる「運動家」は、社会福祉、再分配一辺倒で、こちらの現場にはまったく無頓着である。

 

 

あべが支持されるのは、いわゆる「運動家」側の話は聞かないが、ビジネス側、行政の現場側の声には応えているからである。

 

この国を支えているのは、代わりがいくらでもいるような家畜人民ではない。現場の指揮官たちだ。

 

人民はといえば、エラソーに文句を言っているだけだ。

 

 

いま、「仮想通貨」で騒ぎになっているが「99%」はせいぜい「陰謀論」どまりの認識である。

 

単に「バクチ」かなんかの一種としか思ってはいない。

 

 

ところが、AI とブロックチェーン技術を組み合わせれば、圧倒的少人数で、この国の金融システム全体に取って代わることもできてしまう。

 

そうした技術を持ったベンチャーが日本に上陸してきたら、日本の銀行はすべて”おだぶつ”になるであろう…

 

 

ところが、この新しいわけのわからないものには、心理的抵抗がはたらく。銀行もせっかく作り上げてきたシステムを一から作り直せと言われても困るわけである…が、「自由競争」は、いずれ現実のものとなる。残された時間は、そんなに多くはない。

 

 

「民主的に話し合い」なんぞしていては間に合わないのである…

 

その危機感が「99%」には、まったくない…

 

いつまでも…「マイナンバーが…」などとやっている…

 

 

真田丸に立て籠もる「冬の陣」はとっくに終わったのに、まだ「堀を埋めるな~」「砦を壊すな~」とやっているに等しい。

 

臨機応変に対応し、それならば…と、マイナンバーを福祉向上につなげるなどの方向を考えるべきではないのか?

 

行政の事務手続きがスピーディーになることは確実なのだから、それだけでも福祉現場などに恩恵がある。

 

 

アベノミクスを支持している勢力が、どんな世界を目の当たりにして危機感を持っているのかを知り、彼らと対話するには「99%」も投資家の目でモノをみて、投資家脳で考えるビジネスマインドを身につける必要がある。

 

 

相手を理解せずして、戦いも、対話もありゃしないのである。

 

 

「99%」は、無知無能ゆえに、なんでも「人のせい」、「世の中のせい」にする。

 

それが事実だとしても、現実を変える力ひとつにもなりゃしない。自分を変えることすらできないのだから。

 

 

カナヅチが無闇に大波に向かえば溺れ死ぬ。

 

だが、その波の中を泳ぎ、波に乗る達人もいる。

 

 

カナヅチには、大波は敵であるが、達人には大波は友であり、パートナーである。

 

「金儲けが~」「バラマキが~」と、ひとつおぼえで騒いでいないで、カネのパワーを乗りこなして自分の力にしてみればよいのだ。

 

カネから逃げているだけでは、そんなものは身につかないし、カネの奴隷という身分からも抜け出せない。

 

「カネに使われるな、カネを使え」と言えば、「99%」は浪費と勘違いするよな?

 

「カネに支配されるな、カネを支配しろ」ってことだ。まずは浪費癖から改めねばならない…

 

 

奴隷の目、家畜の目でものを見、奴隷脳、家畜脳で考えているうちは、カネに支配され続けることだろう…

 

 

政治家に「庶民の気持ちを知れ」というのであれば…

 

弱肉強食のビジネスの世界に生きる支配層の気持ちを理解してみせろ…

 

 

…クズども!!