テレビの登場と前後して、日本の漫画界は革命の時代を迎えていた。
ロボットやサイボーグがすでに登場し、その活躍に子どもたちが魅了された。
いまや、ロボットやサイボーグは現実である。
大人たちは、「たかがマンガ」と軽んじていたが、その想像力、洞察力は大人たちの頭脳など軽く凌駕していた。
マンガは、予言の書であった。
世界の真実を映す鏡であった。
マンガを読まなかった大人たちは時代に乗り遅れた。
「マンガなど読んでいたらバカになる」と言っていた大人たちにマンガは「復讐」を遂げたのだった。
はるか昔にマンガによって語られていた”世界の真実”を、大人たちはいまだに知らずにいる…
所はスイス…紳士たちによる”秘密会議”が行われている…
第二次大戦の終了は、第三次大戦への時代の始まりであった。
核兵器の登場で、うかつに戦争はできなくなった。
しかし、1957年のソ連の人工衛星打ち上げ以降、宇宙戦争の時代が始まっており、滅亡戦争の危機は、むしろ高まっている。
上で、サイボーグを使った「未来戦争は必ず成層圏が舞台になる」と書かれてある。
1990年の時点で、作者である石ノ森章太郎は、このようにマンガで描いていたのである。
狂った科学者の情熱と、国際金融資本が結びつくとき、未来戦争は成就する。
「ロン・ヤス」の時代…スターウォーズ計画に不沈空母発言…
だれも、大統領や総理大臣が狂っているとは信じていなかった…
遡れば、マッカーサーのレッドパージから「戦争への道」は始まっていたのだが、多くの市民が反戦運動を行い、アメリカもベトナムに敗れるなどして、一進一退の日々が続いていた。
しかし、戦争の記憶が遠のくにつれて、「戦争への道」は加速し始めた。
日本を「戦争のできる国」にしようと、マスコミと政治家と官僚と資本家は手を結んで進んできた。
いま、マンガを読まなかったバカな大人たち、マンガを読んでもバカのままだったその後の世代の者たちが、いまだに目覚めることなく、戦争精力を支持し、投票しているのだ。
狂った総理大臣や大統領を支持し、応援する狂った大衆たち…
彼らは、天罰を受けるであろう…
石ノ森章太郎が、最初にサイボーグものを描いたのは、1960年代であった。
そんなわけのわからない用語のヒーローものなんてと、雑誌社からは断られたという。
『少年キング』を「説得」して連載が始まったのが、この『サイボーグ009』だったという。
編集部内のゴタゴタから『少年マガジン』に移籍するなど波乱万丈が続く…
1年後、009の死というラストで連載を終了したら、助命嘆願の手紙や電話が殺到した。
そこで、復活して『冒険王』で連載も、その後も紆余曲折が続いたのだという。
いま、どの国も、国際金融資本によって私物化されて、地球レベルの帝国主義が進められている。
アベノミクスなんてのも、彼らの政策であり、あべどもはロボットに過ぎない。
日本国民は、石ノ森章太郎が「ショッカー」や「デストロン」として描いた「悪の巨大組織」が認めたロボットにしか投票できないのである。
仮に投票したとしても、すべて死票になってしまう。
彼ら国際金融資本は、すべての産業を私有している。
軍事産業も、原子力産業も、医療産業も、そして、文芸芸能娯楽産業も…
彼らは、金融マフィアであり、原子力マフィアであり、医療マフィアである。
地上の人間を家畜のように支配する。
その現実にいまだ気づいていないような劣等種は、この先、家畜として生きるほかはないのだ。
石ノ森章太郎は、1966年の7月に「作者のことば」を載せている。
世界中の人々の「平和」への祈りを横目に、
きょうもどこかで銃声が轟き、血が流れ、人が死んでいる。
そして、その音を聞き、その地をなめ、死体をくらって、
ますます肥満していくやつら……武器を作って売りさばく死の証人たち……。
ぼくはそいつらをやっつけるために、
サイボーグ009と、その8人の仲間を創った。
いわゆる「ユダ金」をやっつけるために作られたヒーローだったのだ。
しかし、「正義のヒーロー」は常に報われないようだ…
009も、”5%”たちがよく抱える苦悩を抱えていた。
劣等種どもは、”5%”たちを劣等ゆえに理解できない。
”5%”たちが手を差し伸べても、彼らはその手を跳ねのけ、刃向かってくる…
”5%”たちの戦いは、常に孤独なのである…
”5%”は、自分たちを理解する者たちだけに、その身を捧げる…
犬やブタに、決して『福音』が伝わり、受け入れられることはないのだ…
それが、”聖別”である…
劣等種どもはネットZQNと化して、すでに人間ではなくなっている…
今度の選挙でも自公に投票することだろう…
連中は、家畜であり、機械であり、目も耳も脳ミソも、飾りでついているだけの存在なのだ。
そんな連中のために戦う必要はない。
滅びるにまかせればよい…。
”5%”が守るべきは、クズではないのだ。
地の塩、世の光となる、宝となる人々である。






