ためらいなく引き金を引ける”非情さ”こそ、戦場における兵士の”強さ”と申し上げました…
昨今、ミリオタ映画が流行っているのか流行らせようとしているのか…
戦場における兵士の強さを”愛”だの”守る”だのと、甘っちょろい戯言で飾る”お花畑”の傾向を感じてしまうのですが、いかがでしょう?
戦争というのも、戦争で作られてきた国家というものも”非情”でできているのです…
この”非情さ”と向き合うとき、通常人間は、どうなってしまうのか…
いろいろな点で、戦争のリアルが描かれている『進撃の巨人』から見て見ましょう…
ジャンの危機に、ためらうことなく引き金を引いたアルミン…
しかし、どう考えても間に合うタイミングではなかった…なぜ?…
いくら戦場だからといっても、そうそう引き金は引けないものです…
逆にそうだからこそ兵法でも「敵に逃げ道を作ってやる」わけです。
追い詰められて、「やるかやられるか」になれば、ただただ”運”と”非情さ”の勝負になります。
”背水の陣”で兵が強くなるのは、”非情”になれるからです。”死にもの狂い”になるからです。
しかし、生き残っても、こころには深い傷を負うことになります…
「ミカサもこうなったの?」とアルミン…σ(-。-;) いや~、女ってのは案外ずぶとかったりしますんで…
ベトナム帰還兵やイラク戦争帰還兵も、多く精神をやられてしまいました…
キレイゴトなんか通用しないんですよ…ミリオタ映画見て、その気になってちゃダメですよ…
わかったうえで観て、楽しんでくださいね…
ですから、旧日本軍ではヤクザと同じように新兵を殴って”鍛え”ました…”強く”なるように…
つまり、”非情”になるように…何も考えずに引き金が引けるように…
すなわち、人間性、人間のこころを徹底して破壊してしまうんです…
兵士になるということ…それは、人間ではなくなるということですよ…
『るろうに』でも、描かれていましたね~
徐々に精神を病んでいく剣心…だからこそ師匠も止めたのでしょうに…
その”壊れていく”剣心を、ある意味救ったのが、巴だったわけですよね…
まあ、ともあれ”壊れた”人間によって国家は作られ、権力は維持されるんです…
国家という”非情”…権力という”非情”…
しかし、だからこそ人間性を取り戻す”戦い”を続けていく大きな意義があるんです…
国というのは、法と道理によって維持されるもの…
”非情さ”だけでは、破壊と不敗しか生まないのですからね…
国の魂は、”非情さ”からは生まれない…
だれも、そんなものについてなどいかない…
そして、戦場においてすら、”非情さ”がつねに”正解”であるとはかぎらない…
”甘さ”は捨てると決意を語るジャンに、「本当に間違っていたのか?」とリバイが問うんですからね~
そして、ここらが…同じく剣心が求めていた”不殺の道”と共通しているのでしょう…
”甘さ”を捨て、”非情”になっても、それだけでは”虚無”…
”非道”に普遍性はない…