武器と奴隷の売買で富を築いた鬼畜の国がスペインとイギリスである。
「ユダヤ議定書」そのまんまの政治、外交を行い、幾多の国々を滅ぼし、植民地にしてきた…
自分たちは優秀だから、何をしてもよい…
滅ぼされるのは、劣っているからだ…
そんな理屈で殺戮と強奪とペテンを繰り返してきた犯罪民族…アングロサクソン!!
彼らは「キリスト教」まで奪ってしまった悪魔のなかの悪魔…地獄民のなかの地獄民である…
裁判員制度で、強盗殺人犯を死刑にするのだったら、まずアングロサクソンを死刑にしなければ…
公正な裁判とはいえまい…
ボストンで何か騒ぎがあったようだが、戦争を起こすためには彼らは平気で自国民も生贄にする…
パールハーバーも、実は”やらせ”だった。
2000人とも言われる犠牲者は、日本に殺されたのか、祖国アメリカに殺されたのか…
「国家」という概念を部族社会だったイスラムに持ち込んだのもイギリスだった。
抑圧状況をつくって、そこへ救世主のように現れ「独立国家をつくって、民族を解放しよう!」ともちかけた。
日本も「アジアの独立」を掲げるという、同じ手口を使った…
インドでも「インド独立」が掲げられ、チャンドラ・ボースなどが活躍した。
遡って、フランス革命、ナポレオン戦争のころには、ラテンアメリカが独立戦争を戦っていた…
しかし、いずれの「革命」も「独立戦争」も、武器商人以外に”勝者”はいなかったのである…
自分たちは「無力」と思い込んでいる人民だが、実は、恐るべき潜在力をもっている。
そのことは、支配者たちが一番よく知っている…
だから、彼らは常に自分たちの権力を強大化し、人民を管理しようと腐心している…
しかし、機械文明を手中にした彼らは、強気になった…
人民から自分たちを守るだけではなく、もっともっと効率よく人民を利用することを考えるようになった…
ルイ・ナポレオンが、国民の人気をつなぐために万博を拓いたり、パリを整備したり、自分の容貌にも気を配ったことは有名である。
日本でも「開かれた皇室」などというキャッチフレーズが流されたものだ。
これが、近代「国民国家」である。これが「民主主義」だとされてきた…
だが、このポピュリズムの行きつく先は、大衆の感情がすべての基準になる狂信的な全体主義である。
「民族の」…「誇り」…「歴史」…「文化」…「宗教」…そんなものを持ち出してきて…
人々を「ひとつ」にする。グルーピングする。
まるで部隊に配属するように、家畜を畜舎に分配するように、「所属」と「地位」が与えられる。
そこで、ひとりひとりは「役割」を与えられ、組織の部品として使役されるのである…
しかし、家畜であり、奴隷であるはずの彼らには、不思議な一体感が形成されている…
スポーツや芸術などの快楽と熱狂で、お祭り気分のハイテンションになり…
物語が与えられて、そこに耽溺してしまう…(敵や英雄がつくられる…悪魔狩りだ…)
劇場の観客のごとくに、みながなっている…
ナチスが、大衆を操った道具は、それだけではない…
オカルトやファンタジーも、大衆は大好きなのである…
こうしたものはすべて、人民を「ひとつ」にまとめる道具となりうる…
要するに、新聞雑誌テレビに必ず載っているジャンル、ネタである…
昔から、国を滅ぼすべく、国王を籠絡させるために、音楽や舞踏…あるいは武芸(大会)、美酒肉林等々、
いまの大衆社会が、大衆を陶酔させるべく与えているものを、国王に与えてきたのであった。
つまり、フランス革命以降、「民主主義」という看板だけは、しっかり掲げられるものの、
人民は、わけもわからず猿回しを踊らされ続け、自分で自分の首を絞める一生を送って果てている…
ちょうどコマーシャルを見て、いらないものを買ってしまうように、有害なものを買ってしまうように…
いらない法律…有害な議員を「選ばされて」しまっている。
マーケティングによって、人民が、魚かなんかのようにエサで釣り上げられる国家形態なのである。
人民は、民主主義とはどういうものかも、知らないくせに、自分は、民主主義国の国民だと思っている。
根拠のない信念…。根拠のない自信…思考停止…
すべては、マーケテングの成功によって、人民は操られ、権力は操作されている…
私たちはいま…マーケティング国家に生きているのである…
まだだれも「国民国家」「民主主義国家」とはどういうものかを知らずにいるということを…
知っておかねばならない…