朝食。
夏休みが明けるまで、楽しみに待っていた若い友人との時間。
穏やかで優しい、楽しい時間を過ごしたくて。
誰しもが、それぞれの場所で、己に挑むように整理を尽くしているのだろう。
互いに自分の時間を生きながら、時々に彼女のことが思い浮かんだ。
大切な友達はたくさんいる。
この友人も、とても大切な、とても勉強になる素晴らしい人だ。
彼女と居て、導き出せる(発見)ものは多い。
尊敬に、年齢や職業、性別は関係ない。
どれを食べても、一品一品が丁寧で、とても美味しい。
《メモ》
子供を動かしたくなる気持ちの原点は、なんなのだろう。
また、自身に嵌め込んだ制御は、何処から来たのだろう。
上の世代から、次の世代へ。
次の世代から、またその次の世代へ。
時代背景に伴う常識や教育の違いは、外すことの出来ない要因かもしれず。
子供にとって良かれと思う想い。
愛情であり、教えであり、心配であり、別な方向からは制御でもあるのかもしれない。
ここで、押し留まることの必要性を感じながら、一体いつ切り替えればよいのかと、常に自問することになろう。
この問題は、誰が解くの?
この領域は、誰のもの?
他人の領域を、愛情だと思い込んで侵害するのは、親であっても、忍び込む泥棒のようかも。(笑)
じゃあ、
親御さんには、忍び込む為の必需品!
頭に頬被りし、鼻の下で泥棒結びにする為の、手拭いをプレゼント
子供さんには、忍び込めないように防御するための、錠前を贈ろうか。
ふたりで、手を叩いて大笑いした。
話してよかった。
笑い飛ばしてくれてよかった。
うふふふふ( *´艸`)
そう呟きが聞こえた気がした。
小飛も、何度も何度も繰り返し自問したし、今も尚、自問し続けている。
子供のために、何をしてあげられるだろう。
その苦しさは、誰の領域?
行動するのと、止まるのと、どちらが、誰に対して、楽なのだろうか?
子供が成長してゆくためには、親は、子のために手を離してゆかねばならない。
例え親子であっても、本人にしか分からない感覚がある。
◯組み立て方は、それぞれ違う。
◯重心(芯)にするもの(比重)も、それぞれ違う。
その人には、その人にしか出来ないことがあり、実のところ、
「本人が心を決めねば、本人を動かせない」仕組みのものが多い。
親と子であっても、夫と妻であっても、他人の領域はむやみに侵してはならない。
入る時は、泥棒被りした姿の自分を思い浮かべてみよう。(笑)
それぞれに、自分の責任で組み立て、自分の力で試行錯誤してみたい。
自分の没頭出来る自分だけの領域を持つことで、
自分の世界から目を逸らさずに、
自分の道を歩いてゆくことが、
他人を侵害せずに、自分の領域内で持ち堪え続ける糧(支え)になるのかもしれないな。
打ち込める何か、が、欲しいよね。
打ち込め、没頭するものがあれば、ひたひたと押し寄せてくる寂しさや、虚しさも、遠ざかってくれる気がする。
言葉で書くのは容易いが、これは誰しもがぶつかる課題なのかもしれない。
夕飯は、カレーライス、牛乳寒天、ライチ。(写真なし)
nainai、ありがとうございます。