毎週日曜の朝に「NHK俳句」という番組が放映されています。これまでも時々見てはいたのですが、私も番組に合わせて、下手でも一句ずつ作ろうかと思うようになりました。できるだけ続けていこうと思います。

 

 今回の兼題は「蓬」でした。キク科の多年草で、草餅に入れて食べたり、最近はしないのかも知れませんが、お灸に使う艾(もぐさ)の原料でもあります。時期的にはまだ少し早いかも知れませんが、暖かくなると道端の緑色はほとんど蓬になってしまうのではないでしょうか。少なくともわたしの散歩コースは蓬ばかりです。成長途中の若い蓬は羽状に広がった葉っぱに細かく白い毛がびっしり生えていて、美味しい草餅になりそうです。一方、花は黄色で小さく着くそうで、目立ちません。わたしも見た記憶がありません。わたしの持っている歳時記には、薄汚れた黄色で小さく目立たない、と書かれていました。ちょっと蓬が可哀想です。車の排気ガスなどで汚れてしまっているので、蓬のせいではないですね。

 

 単線の変わらぬ景色蓬摘む

(たんせんの かわらぬけしき よもぎつむ)

 

 蓬よりは土筆のほうが目的だったのですが、子供の頃に母親に連れられて摘みに行ったことがありました。わたしはあまり楽しくなかったのですが、どうやら母親が好きなようで、それに付き合わされていたようです。蓬は道端にいくらでも植わっていますが、どれでもいいという訳ではなく、料理して美味しくなりそうなものを採らなければなりません。うちの近くに線路が通っていて、そこが母親のお気に入りの場所でした。土筆が沢山採れたからです。母親はどちらかというと蓬よりも土筆、わたしはどちらも好きではなく、そんな自然のものよりもスーパーに売っている肉や魚のほうを食べたかったのですが、この線路沿いというのは色んな理由で土筆が沢山伸びていて、食べなくても採るだけで結構楽しめました。田舎の線路で電車は一時間に一本ぐらいしか来ないので、時刻表が頭の中に入っていれば大丈夫です。昔は取り締まりもいい加減だったので、一度も注意されませんでしたが、今そんなことをやったら大事件です。この線路は今でも単線のままですが、電化されて便も少し増えました。帰省した際、わざわざ見に行ったことはないのですが、今でも土筆や蓬は同じように沢山咲いているのでしょうか。

 

 冒頭で、蓬はお灸の艾の原料になると書きましたが、わたしは子供の頃のお灸で痛い(熱い)思いをした記憶が消えずに残っています。悪戯をして文字どおりお灸を据えられたのではなく、子供の頃、病弱で、体が丈夫になるようにということで、母親に暫く据えられていました。綿埃程度の小さなお灸でしたが、線香で火を着けられ、根元まで燃えて行くと段々熱くなって、最後は飛び上がるくらい熱くなって、その寸前で母親が手で振り払い、何とか我慢する、ということを毎日回数を決めてやっていました。背中でしたが、あの時のお灸の痕は残っていません...多分。