こんにちは!

週末に電車で夫と出かけたときに

メモしていたこと。

 

 

忘れないうちに投稿しとこ。

 

↓↓

 

怖さにフォーカスする自分を責めるよりも

怖さを感じる自分を「当たり前」にする。
 
 
今までだめだと思っていた部分を
(怖がる自分はダメという部分)
全肯定したらね、
 
 
そばにいてくれる人がいることに
感謝しかないことに気づいた。
感謝が湧いてくる。
 
 
当たり前に怖がる人に
当たり前にいつも一緒にいてくれる人がいる。
なんてありがたいんだろう、って。
 
 
「怖がる自分をダメだ」
って責めているうちは
自分責めにフォーカスするだけで
ただただ嫌な気分になるだけで
何も現状は変わっていないんだよね。
 
 
いいじゃん。
 
 
怖がりな人がいたって。
 
 
人に迷惑かけているかもしれないし
不便だけど、仕方ない。
 
これをデフォルトだと思って
受け入れたらいいや。
 
 
怖がりな自分でも
やりたいことやったらいいし。
 
 
やりたいことをやれる未来の自分と
今のできていない自分との距離を
ちょっとずつ縮めていけばいいや。
 
 
 
怖いものがない人生はつまらない。
のかも?
 
 
怖いものがあるから、
その対極にある「安心」を感じられるんだ。
 
 
 
 
 
「弱さ」をそのまま世界に出したら楽になる。
 
 
弱さがあったらいけないと思いこむから
疲れるし、隠したくなって、見ないふりしてた。
 
 
無駄に強がるから「怖い」んだ。
 
 
無駄に力を握りしめていたんだなーって思う。
 
 
自分にとって
強がること、強く生きることが
すごく大事だと思っていたから
仕方ないんだけどね。
 
 
力を抜こう。
肩の力、手のひらをぎゅっと握る力。
 
 
頑張るところが、違っていたんだ。
 
 
自分らしくないものになろうとしていたんだなー。
 
「強くなろう、強がろう」と、
鎧をかぶらなきゃって思っていたけど
重すぎるし、むしろ鎧はない方が身軽で
楽しいのかも?って思うようになってきた。
 
 
さて。
今日も力を抜いてヨガの練習しーようっちゅー
 
 
 
 
 

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