昨日、旦那さんと話していて思ったこと。

 

我が家(嫁いだ親族一同)、めちゃくちゃ仲がいい。

 

 

私の家の壁にはこういうもので壁にたくさんの

家族写真を飾っているんだけど

 

 

旦那さんのいとこ一家と一緒に撮った写真

旦那さんの兄一家と叔母、叔父と撮った写真

旦那さんの父方の祖母、叔母、叔父と撮った写真とか

それはもう大量クローバー

毎年帰省するたびにたくさんの写真が増えていく。

 

 

親戚同士がめちゃくちゃ仲良しでね。

 

 

 

私は、自分の家族とも

親戚ともこんなにたくさんの写真もないし

仲も良くなかったので、すごく新鮮で

ありがたくて優しくて泣けるんです。

 

 

 

でも、その仲の良さには理由があって

それは旦那さんの母が亡くなったということ。

 

 

彼の小学校卒業式前日に、がんで亡くなりました。

 

 

だから私はお会いしたことがないんだけど

その悲しみをみんなが共有しているから、

支え合って母親不在をフォローしてきたから

これだけ親戚みんなが大きな家族みたいに

すごく優しくて温かい。

 

 

当時はどれだけつらかっただろう。

旦那さんの記憶は飛び飛びだと言っていた。

 

悲しかったからだよね。

 

 

その1点を見たらとても辛い出来事だけど

今の視点でみると、お義母さんのおかげで

これだけ優しい親族のつながりができた。

 

 

長い目でみたら、何が幸か不幸かなんてわからない。

 

 

だから今この瞬間に、何か失敗してもいいんだって思えた。

失敗を過剰に恐れて、気持ちが超凹むだけでその改善策を

凝視できなくなる私。

 

 

失敗って、改善したらいいだけ。

次に活かしたらいいだけの、超素晴らしい素材であり学び。

 

 

時が経てば、すごいギフトだったと思えることもあるから

怖がるよりも、自分が見たい世界を自分が見せてあげられるように

頑張りたいな、って思う。

 

 

結果よりも。

自分がどうありたいか。

 

ありたい姿に一ミリでも近づきたいなピンクマカロン