小塚崇彦インタビュー&夏に結婚!? | フィギュアスケート研究本

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「ここで引退するのは惜しいと感じた」
フィギュア小塚崇彦インタビュー 前編


スポーツナビ2014年4月10日 10:50

 小塚崇彦(トヨタ自動車)は終始リラックスし、穏やかな笑みを浮かべていた。取材日は世界選手権のエキシビション翌日。シーズンが終了し、重圧のかかる戦いから解放されたこともあったのだろう。冗談を交えながら、この1年を振り返ってくれた。

 小塚にとって今季はスケート人生で最大の苦難に見舞われたシーズンだった。序盤は昨季から続くけがに悩まされ、思うような結果が出なかった。ソチ五輪出場を懸けた昨年末の全日本選手権では3位に入り選考基準を満たしながらも、代表の座は逃した。25歳となり去就も注目されたが、小塚が下した決断は「現役続行」。1月の四大陸選手権で2位となり、「せっかく自分の体を知ることもできたし、ここで引退するのは自分としても惜しいと感じたんです」と、その理由を語る。

 急きょ出場が決まった世界選手権では6位。準備期間がわずか3週間と短かったものの、ある程度の結果を残せたことで自信につながった。「もっと完璧にできたら上は目指せる」。小塚の競技に対する意欲は衰えるどころか、さらに高まっている。


失意を味わった代表選考、急きょ巡ってきた世界選手権出場など、激動のシーズンを過ごした小塚がこの1年を振り返ってくれた【スポーツナビ】

「本番の雰囲気が自分の力を引き上げてくれた」

――まずは世界選手権お疲れ様でした。日本での大会を戦ってみてどう感じましたか

 準備期間が短くて、自分の満足いく状態までは上げられていなかったんですね。自信がつく前に世界選手権を迎えてしまい、「どうなるかな」と思っていたんですけど、実際に滑ってみて、そこそこうまくいったかなと(笑)。「何でかな」と考えたところ、最後の最後で引き締められたのは、たくさんのお客さんの前で滑ることができたからだと思っています。そういう意味では、すごく不思議な感覚でしたね。3週間という練習期間であれだけの演技ができたというのは、本番の雰囲気や緊張感など全体的なものが自分の力を引き上げてくれたからだと思っています。

――佐藤久美子コーチが「マジック」とおっしゃっていたとか。

 名古屋で練習しているときは、本当にショートプログラム(SP)のジャンプで回転することもできない状態できていて、アクセルやルッツも跳べない状況でした。4回転トゥループどころの話じゃなかったです(笑)。アクセルもままならない状態で会場に来て、練習しているうちに体が慣れてきたというか。それで「たぶん大丈夫かな」と思いましたね。自分の中では「間に合ってよかった~」という感じです(笑)。

――準備期間が短かった中で、結果と内容にはある程度満足しているのでしょうか?

 SPに関してはあれ以上できなかったと思います。ただフリースケーティング(FS)はもう少しうまくまとめられたかなと。そういう意味では少し悔しいですね。自分の経験を踏まえれば、もうちょっときれいに、うまくできたかなという思いはあります。練習の状態を考えると、これ以上の贅沢を言ってはいけないのかなと思いつつ、悔しい思いもあり、今はその狭間にいます(笑)。

――今大会で得た収穫はご自身でどう分析していますか?

 集中力はあるんだなと(笑)。今まで積み重ねてきたものがあったからこそ、ちょっと期間が空いてもまとめられたのかなと思います。何もやっていなくて3週間でまとめられたかと言うとそうではなく、ある程度蓄積されたものを3週間で戻せるくらいのところにいるんだなというのが確認できた。それが収穫かなと思います。

「自分の体を知ることに時間がかかってしまった」

――今季はけがもあり厳しいシーズンだったと思います。実際にはどのような状態だったのでしょうか?

 病名を言うと『先天性臼蓋 (きゅうがい) 形成不全』というものです。小さいころから股関節の臼蓋という器が浅くてずれやすく、それが動くことによって、軽い亜脱臼を繰り返すような状態なんですね。それを起こさないように周りの筋肉をしっかり鍛えることが大事で、周りの筋肉が疲れてくるとこうした状態が起こりやすくなる。今は出水(慎一)先生というトレーナーの方に、体のケアを毎日してもらって、次の日に備えています。それをやっている限りは痛みが出ることは少なくて、現在はこのままやっていても大丈夫という状態ですね。

――序盤戦はけがの影響もあり結果が付いてきませんでした。

 自分の体を知るということに時間がかかり過ぎて、スケートの練習をそこまで積めていなかったんです。体作りから始めたので、本当に段階を踏み、全日本選手権に合わせていこうと考えていました。やはり全日本選手権というものが、日本人の選手にとっては一番大事になってくるので、そこに合わせるように体を作っていました。もちろんグランプリ(GP)シリーズをおろそかにしていたわけではないですよ。自分の状態がどういうものなのかを確認する場でした。僕は1つ1つの試合は大切なものと考えています。「大きな試合だから頑張る、小さな試合だからどうでもいいかな」と考えると、大きな試合に出場したとき、小さな試合でやっていなかった反動は絶対に出てくるんです。だからどんな大会でも僕はしっかりやりたいと思っています。でも段階を踏んでやっていかなきゃいけない状態だったので、全力でやっているけどなかなか追いつかないというのはあったと思います。

――ご自身の体を意識するようになったのは、どのくらいの時期からだったのですか?

 昨シーズン急に痛くなったというよりも、前からなんとなく痛くて、それでもだましだましやっていたらどうにかなっていたんですね。ジャンプのタイミングを変えたり、体のポジションを変えたりしてやっていたんですけど、だんだんそれも追いつかなくなってしまった。もうダメとなったときに、足が動かない状況になっていたんです。それが昨シーズン(2012年)のGPシリーズのスケートアメリカのときでした。ロシア杯では練習のときから力が入らない感じで、本番だけ合わせるような感じでした。GPファイナルのときもそうですね。そのときは何が起こっていたか分からなくて、「痛いけど大丈夫だろう、根性だ!」みたいな感じでやっていました。でもその後はバブルが崩壊するように、それがバーンとはじけて、痛くて全然できないような状態になってしまったんです。それで出水先生に診てもらいながら、病院に行っていました。ただ、そんな状態でやっているうちに、だんだん何をしたら痛くなるか、どれくらい練習したら痛くなるのかが分かってきて、それならトレーニング次第で抑えられるんじゃないかと。

――なるほど。それで状態が上向いてきたと感じたのはいつぐらいからだったのでしょうか?

『先天性臼蓋形成不全』だけではなく、骨の先っぽが飛び出て股関節唇(編注:股関節のヘリを覆う軟らかい組織。大腿骨の骨頭が外に外れるのを防ぐ役割がある)を損傷し、余計浅くなり、その方向に行くとずれるということも起こっていたようです。だからそういう方向に行かないように出水先生に整骨をしてもらって、しっかり練習をできるように考えてやっていました。「ピースがちゃんとはまったな」と感じたのが今季のGPシリーズの中国杯が終わったくらいからですね。これだったら大丈夫かなと思いました。


わずか3週間の準備期間だったにもかかわらず、世界選手権のSPでは満足いく演技を披露。小さく拳を握り締め、喜びを表した【坂本清】

「全日本で3位になって、少しは期待していた」

――全日本選手権はかつてないほど熾烈な戦いだったと思いますが、大会中はどんなことを考えていましたか?

 練習は積めていたので、あまり不安もなかったですし、あとは思い切りやるしかないなと。自分らしくいられたような気がします。

――3位という結果が出た時点ではどう感じていたのですか?

 とりあえず選考には引っかかるなと思いました。それこそ連盟が決めることなので、連盟が「全日本選手権の1位、2位、3位の選手で決めます」と言っていたわけでもないですし、僕自身は分からないなという感じでした。3位になって選考対象に引っかかるようになったというだけでしたけど、それでも期待は少ししていましたね。

――発表を待っている間はどんな気持ちでしたか?

 女子の演技を見ている間は、女子の演技がすごかったので、気持ちが紛れていたと言ったらおかしいですけど、そちらに感動して忘れていました(笑)。ただ急に発表となったときにはドキドキしましたね。選考基準に引っかかっているはずなので、「選ばれるかな、選ばれないかな」とか「ここで期待しちゃだめだろう」とかいろいろ考えていました。

――五輪に出場できないことが分かったときは、どう思いましたか?

 何て言うんだろう。ぼーっとしたというか、何かが抜けていくというか、意識がない状態でしたね。「そっかぁ」という感じです。

――高橋大輔選手が選ばれたわけですが、そのときはどのような話をされたのですか?

 その場で高橋選手の名前が呼ばれたので「頑張ってきてね」と言って、高橋選手が「頑張ってくるよ」と。それくらいですかね。

「もっと完璧にできたら上は目指せる」

――その日の夜はどう過ごされたのですか?

 僕はしくしく泣くタイプではなくて、どちらかというと「ワー!」と荒れるタイプなんです(笑)。だから1人でいたというよりは、親しい人たちみんなで集まってワイワイ話しながら、気を紛らわせていましたね。

――親しい方たちからかけられた言葉で印象に残っているものはありますか?

 僕の周りにいる人たちは「だめだったな!」とバーンとたたいてくるような人が多いので、僕もそれに乗って「だめだった!」と明るく返すような感じでしたね(笑)。でもやはり悔しかったですよね。

――納得できなかった部分もあったのでは?

 まあ、でも言われたことは仕方ないので。連盟に登録している身として、それは受けなきゃいけないし、連盟の方も決めなきゃいけない。それは納得する納得しないという問題ではないかなと思います。

――大会後、練習を再開したのはいつごろだったのでしょうか?

 滑っていたことは滑っていたんですけど、練習という練習はしていなかったです。氷に乗っていたくらいの感じです。全日本選手権が終わってから2日か3日しか空いていなかったと思います。年が明けて1月2日から四大陸選手権に向けた練習は始めていましたね。

――気持ちはすぐ四大陸選手権に向けられたのですか?

 いや、向かっていなかったです(笑)。即答ですみません。四大陸選手権に行ったときは全然気持ちが向かっていなくて、小籠包の食べ比べなんかをしながら、最初は観光気分でした。試合直前まで気持ちが入っていなかったんですけど、ジャンプを1回跳んで「これは試合だった」と我に返るという、そんな状況でしたね(笑)。

――笑。そんな状況で結果は2位でした。

 それもあって「まだまだできるんだな」と。もっと完璧にできたら上は目指せるんだなと思って、せっかく自分の体を知ることもできたし、ここで引退するのは自分としても惜しいと感じたんです。それで現役を続けるということを言ったんですけど、じゃあそれだけの理由で続けられるのかどうか。世界と戦っていくことを考えないといけないと思うので、そこでできるかどうか気持ちが決まるか。それはいまいち中途半端だったんです。でもそういう意味では今回の世界選手権に出場して、3週間でどうにかなって世界の6番になったというのは自信になりました。あそこまで点数が出たんだから、だいぶ戻ってきたなというのは感じましたね。

<後編へ続く>

(取材・文:大橋護良/スポーツナビ)


選考会後は練習にも気持ちが入らなかったと苦笑い。そんな状態でも四大陸選手権では2位に入り、現役続行への手応えをつかんだ【スポーツナビ】


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小塚崇彦とフジ大島アナ 「夏にも結婚」とフィギュア関係者

[2014/04/17]

 4月13日に開催された競泳『日本選手権』最終日の会場で、男子フィギュア選手の小塚崇彦(25才)とフジテレビの大島由香里アナ(30才)の初ツーショットがキャッチされた。

 帽子を目深に被り、人目を避けるように座っていた小塚。その隣りには、大島アナの姿が。

「大島さんが小塚くんにレースの解説をしていたんですが、彼、すごく疲れているようで、途中ウトウトしていましたよ」(目撃した人)

 この日、小塚は昼夜3日間にわたるアイスショーを終えて会場に駆けつけた。どんなに疲労困憊でも大島との時間を大事にしているのだろう。

「結婚も決まったそうです。入籍は夏ぐらいになると聞きました」(フィギュア関係者)

 小塚家は、祖父が愛知・名古屋にスケート文化を持ち込んだ伝説の人物。両親ともフィギュアの選手で、一族で名古屋のフィギュア界を築き上げた大変な名家。実家にはスケートリンクがあるほどだ。

「“フィギュアの王子”ともいえる小塚選手の結婚相手というのは誰でも務まるというものでもなく、彼自身も大変なプレッシャーを感じてきたはずです。地元では“一体どんな嫁をもらうんだろう?”というのは最大の関心事のひとつだったんですから」(スポーツ紙関係者)

 はたして大島は、小塚の両親のおめがねに適ったのか?

「小塚選手はスケートの英才教育を受けて、リンクでは泣くことも許されず、だんだん感情を表に出せなくなっていたんですが、結果、フィギュアでの表現力に苦労していたんです。一方の大島さんはお嬢様育ちですが、フジテレビに入社するために浪人するほど精神的にかなりタフで、思ったこともきちんと言葉で伝えるタイプ。でも、いつもお姉さん役というわけでもなく甘え上手で、女子力も高いんです。小塚選手はそんな大島さんの影響を受けているみたいで、彼の両親も“息子を変えてくれた”と大島さんのことを気に入っているみたいです」(前出・フィギュア関係者)

※女性セブン2014年5月1日号

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「世界の舞台でもう1度完璧な演技を」
フィギュア小塚崇彦インタビュー 後編


スポーツナビ2014年4月11日 10:40

 「ここで引退するのは惜しいと感じた」という小塚崇彦(トヨタ自動車)だが、やはり去就に関しては迷いがあった。織田信成(関西大大学院)や安藤美姫(新横浜プリンスクラブ)といった同時代を共に戦った仲間も昨年末の全日本選手権を最後に表舞台から退いている。1月の四大陸選手権を戦いながら「自分が競技を続ける理由は何だろう」と問い続けた。

 現役続行という決断に至った理由は「へそ曲がり」と自ら分析する自身の性格にもよる。2位という結果を残したことに加え、仲間が引退する中、あえて逆の道を進むことに面白さを感じたのだという。そんな小塚が目標としているのは「世界の舞台でもう1度完璧な演技をする」こと。来季に向け、4回転ジャンプをトゥループ以外にもう1種類増やすことも検討している。激動のシーズンを終えたばかりだが、小塚の目は早くも未来に向けられていた。

「引退は考えたけど、へそ曲がりだから……」

――現役続行をはっきりと決めて、晴れやかな気持ちですか?

 僕自身はへそ曲がりで、みんなが「イエス」と言ったときは「ノー」、みんなが「ノー」と言ったときは「イエス」と言う性格なんですね(笑)。よく分からないんですけど、「何でスケートをやっているんだろう」と考えたとき、試合に出て楽しかったからとりあえずまだ続けたいと思ったんでしょうね。四大陸選手権のあとに現役を続けると言ったものの、自分の気持ちはちゃんと向いているのかといったら、よく分からないような感じでふらふらしていました。

 やはり、引退も考えましたし、1つの区切りだとは思いました。織田くんも安藤さんも引退していく中、「自分が競技を続ける理由は何だろう」と考えながら四大陸選手権を戦っていて、みんなきれいにやめていったので、何て賢いんだろうと(笑)。「自分は何てバカなんだろう、全日本でやめちゃえばよかったのに」と。ただそう思ったときに、「いや、だからちょっと続けてみたいな」と自分の中で感じたんです。みんなが行っていない領域なわけなので、「これって面白いな」と思って続けることにしました。そんな状況で世界選手権があって、あのフリースケーティングの演技で終ってしまうのは、僕の中では「まだまだ早いんじゃないの」と。世界の舞台でもう1度完璧な演技をするところまで行けたらいいなと思ったので、今は気持ちが引き締まりましたし、すっきりとしましたね。

――競技を続ける上で小塚選手を支えているもの、原動力となっているものは何なのでしょうか?

 やはり「フィギュアスケートが好き」という気持ちが一番かなと思います。何だかんだいろいろなことが起こりますけど、だからこそスポーツでしか体験できない楽しみや悲しみがありますし、さまざまなことを経験できるということをスケートを通じて、人生の勉強をしている感じかなと思います。それが自分の中で続けていく一番の原動力になっていますね。

――ソチ五輪に懸ける思いは相当強いものがあったと思います。

 そうですね。1度五輪を経験して、本当にあれほど思い切ってできる場というのはないなと。「スケートをやってきて良かった」と思えるところですし、そういう場にもう1度行きたいと思っていたので、出場できなくてすごく残念でした。あとになって「五輪への思いは強かったんだな」と感じています。

――ソチの氷が柔らかいという話もあったのですが、見ていて滑りづらそうな感じはありましたか?

 僕が昨シーズンのグランプリファイナルで滑ったときは、中京大に近いような氷でした。中京大の練習場はフィギュアスケート専用なので氷が柔らかいんですね。そういった氷に近いと聞いていたので、中京大で滑っている選手にとっては滑りやすかったんじゃないかと思いますが、いろいろと難しい部分はあったみたいですね。


競技を続ける上で原動力となっているのは「フィギュアが好き」という気持ち。スケートを通じて、人生の勉強をしていると語る【スポーツナビ】

「一緒に戦っている仲間はお互いを高め合う存在」

――現役を続けると決めて、「新しいチャプター(章)の始まり」ということを言っていましたが、今度はどんなチャプターにしていきたいですか?

 どうなっていくんでしょうね。流れに任せるような感じになってしまうと思うんですけど、その中でも自分でいろいろと決めながらやっていきつつ、相変わらず周りの人に支えてもらいながらというのが僕のスタイルと言うか、スケート人生だとも思うので、周りの人と相談しながらやっていきたいです。ただ競技選手としてやっていて、後々はプロになっていく。その狭間に来ているのかなと思っているので、それが新しいチャプターのキーワードになるんじゃないかと思います。

――普段一緒に戦っている選手は皆さん非常に仲が良さそうに見えますが、小塚選手にとって彼らはどのような存在ですか?

 普段はスケートの話もしないですし、適当にご飯を食べに行って、カラオケに行ってというような感じです。試合のときはライバルですが、すごく良い関係だと思います。なあなあにもならないし、ぎすぎすもならない。良いバランスを保って、みんなで高め合いながらできていますね。ただ試合のときに会って、ただ戦って、あいつに負けたくないからと言ってやっているだけじゃなくて、本当にお互い高め合いながらやっている感じです。

――ちなみにカラオケは何を歌うんですか(笑)?

 何でも歌いますよ。レミオロメンが好きで『粉雪』をよく歌いますね。あとは『夢の蕾』とか『3月9日』とか。幅広い世代を網羅しています(笑)。上は『サボテンの花』(チューリップ)や『仮面舞踏会』(少年隊)とか。

――けっこう幅広いですね(笑)。

 最近の曲では『恋するフォーチュンクッキー』(AKB48)は歌いますし、踊れますよ(笑)。

「近代化と伝統がうまく融合したときに競技が高められる」

――他競技の選手とも交流があると思うのですが、彼らからはどのような刺激を受けていますか?

 他の競技になれば、コンディションの作り方とかはやはり違います。個人スポーツとチームスポーツでは気持ちの持ち方も全然違いますし、いろいろな競技を見ることによって、スケートというものを客観的に見た場合、「これってスケート独特なものなんだな」とか気づくことができる。これはずっとやってきたことだから自然とこういう形になってきたのかなとか、そういうのを考えるのが面白いなと。それこそ新しく変えるところがあるとかないとか考えていくのも面白いかなと思っています。

――練習方法などで参考にしている部分はありますか?

 体操の内村(航平)君の練習を見に行ったんですが、そこではビデオを撮っていて、何回も何回も勝手に技の映像が再生されるようになっています。スケートはそういうのが全くない。スケートは1つの場所でやっている競技ではなく、60メートル×30メートルのリンクで動き回っているので、それを撮って再生しながらというのはなかなかできない。時間との戦いになってくるので、難しいとは思うんですけど、そういうのが導入されてもいいのかなと。今は先生たちが気になったときに、iPadを見てというぐらいで、それもあまり慣れていないというような感じです。それこそ近代化というのもありだと思うし、かと言って伝統をなくす必要もないので、それが両方うまく融合したときに、スケートという競技が高められるのかなと思っています。

――これまでのスケート人生と比べて、今季はどのようなシーズンでしたか?

 本当に長かったなと(笑)。密度が濃いだけではなく、密度が濃くて長かったですね。密度が濃かったら普通短いものですけど、それが長かった。1回気が抜けたときもありますし、また気が入って、また気が抜けて、また気が入ってとシーズンが終わったんだか、終わってないんだかよく分からない状況で……。いろいろなシチュエーションがあったので疲れました(笑)。

――お疲れ様でした(笑)。今シーズンを経験して、一番学んだことは何でしょうか?

 自分の気持ちをどういうふうにコントロールするかということですね。やっぱりアップダウンがある中で、最終的に試合のときにそういう状態で入ったらだめだと思うし、それをどうコントロールして、試合に向けてやっていくかとか。あとは世界選手権に出て、世界の今のレベルを知ることができたのは大きな収穫だったんじゃないかと思います。

「4回転を2種類できるようにしたい」

――さらに上を目指すために、どういった部分を高めていきたいと思いますか?

 今はジャンプですよね。4回転ジャンプを何種類か入れるプログラム構成になっていないといけないので、1種類だけではなく、2種類はできるようにしたいなと思っています。

――4回転をもう1種類ということはサルコウを?

 あまり僕、サルコウが好きじゃないんですよね。トリプルを1番最初に跳べたのはサルコウなんですけど、そんなに好きじゃないんですよ(笑)。

――笑。では1番好きなジャンプは?

 トゥループもあまり好きじゃなくて、ルッツとかフリップがけっこう好きなんですよ。だからその2つに練習の比重を置いていったらどうにかなるんじゃないかと思っているんですけどね。早く取り掛からないと。来シーズンに入れるとしたらものすごく練習しないといけないので、そうすると足が問題になってくる。出水(慎一)先生と相談しながら、「出水先生、よろしく」という感じでやっていきたいと思います(笑)。

――これまで練習してきたことはなかったのですか?

 たまにやったりはするんですけど、そういうことをするときに限ってけがをしたりする。やっぱり高度な技術になってくるとけがをする確率が高くなってくるんですよね。それまで僕はあんまりケアに重点を置いていなかった。寝て起きて練習に来て、ウォームアップはちょっとだけして、ジャンプに入って、終わってそのままストレッチをしているんだかしていないんだか分からないような状態で帰って、という感じだったので、それがけがの原因にもなったと思います。今はそういうこともないので、新しく始めても体は持ってくれるんじゃないかなと。(幸運を祈るという意味のクロスフィンガーを作りながら)そう願いながら、練習していきたいですね。

――最後の質問です。4年後まではさすがに考えていないと思いますが、今後目標としていくことはどんなことになりますか?

 4年と言われたときに実感があるかと考えたら、僕の中では全然実感が湧かないです。だからとりあえずは1年1年を考えるというのと、あとは1試合1試合少しずつやっていくしかないんじゃないかなと思います。まずは来シーズンの頭に合わせるようにしたいと思います。

(取材・文:大橋護良/スポーツナビ)


より上を目指すために、トゥループのほかにもう1種類の4回転ジャンプに挑戦するプランを明かした【坂本清】


小塚選手のソチ五輪からの心の動きがよく分かる、インタビューですね。

次の五輪は、まだ考えられないとの事、一年づつ続けて行く内に、平昌五輪まで出来たら続けてしまうという感じでしょうか。

出来る事ならば平昌五輪まで目指し、ソチ五輪に出れなかったリベンジをしてほしいとも思います。

また4回転をもう一つ習得したいとの事、しかもフリップかルッツを完成出来たら、これは凄い事だと思います。

特に4フリップは、まだ試合で成功させた選手がいません。

高橋選手も4フリップの習得を目指していましたが、怪我もあり、完成できていませんので、小塚選手がその意志を継いで成功させてくれたら、どんなに嬉しい事かと思います。

所で、入籍の話題が出ていますが、本当でしょうか。ヽ(*'0'*)ツ

週刊誌ネタなので嘘ぽいですが、実際問題、現役を続行する小塚選手が今、しかも今年の夏に結婚はあり得ない、無理な話だと思われます。

いつも週刊誌ネタによく出てくる(フィギュア関係者)とは一体誰ですか~!? ( ´艸`)

二人が今後別れなければ、将来的にはあり得る話でしょうが、今ではないでしょう。

子供ができた訳でもないですし……、アナウンサーの方はもう30歳なので結婚を急ぎたいかもしれませんが小塚選手はまだ25歳です。そして現役続行ですからね……。

また二人が正式に付き合いだして、まだ一年位ですので、結婚は本当に早いと思いますよ……。

小塚選手は、引退後はプロになる事を考えているみたいですね。

大学院にも進んでいますので、今後スポーツ研究者、大学の講師や教授という道もあるかもしれませんね……。

もし平昌五輪まで目指してしまったら、その時、小塚選手は29歳です。

それから引退し、プロになったり、今後の生活の設計を考えると、小塚選手が30歳くらいにならなと、正式な結婚の決意は出来ないのではないでしょうか。

それまで二人の関係が良好な事を祈るばかりですね。



↓こづ君の現役続行、応援しております。('-^*)/


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