浅田真央 温かい周りの気遣い | フィギュアスケート研究本

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2011.12.26. ドデスカ!

浅田、2年ぶり女王=急逝の母にささげる優勝-全日本フィギュア

 フィギュアスケートの全日本選手権最終日は25日、大阪府門真市のなみはやドームで行われ、女子は浅田真央(21)=中京大=が合計184.07点で制し、前日のショートプログラム(SP)2位からの逆転で2年ぶり5度目の優勝を果たした。浅田は来年3月の世界選手権(フランス・ニース)代表にも決まった。
 浅田の母匡子さんが今月9日に急逝。悲報から短期間で調整し大会出場に踏み切った浅田は、亡き母に勝利をささげた。
 2位は鈴木明子(26)=邦和スポーツランド=、3位は村上佳菜子(17)=愛知・中京大中京高=だった。 


◇浅田真央の略歴
 浅田 真央(あさだ・まお)愛知・中京大中京高を経て中京大在学中。05年に世界ジュニア選手権優勝。同年に15歳でGPファイナルを初制覇した。06年のトリノ五輪は年齢制限のため出場できず、初出場となった10年バンクーバー五輪で銀メダル。世界選手権は08、10年に優勝。163センチ。愛知県出身。21歳。

(2011/12/25-20:02)時事ドットコム

ママやったよ・・・ 真央V

2011年12月26日 紙面から 中日スポーツ

◇全日本選手権
 ▽世界選手権および四大陸選手権の代表最終選考会を兼ねる▽最終日▽25日▽大阪・なみはやドーム▽女子フリーなど
 SP2位の浅田真央(21)=中京大=が、フリーでのミスを最小限にとどめて2位になり、合計184・07点で2年ぶり5度目の優勝を決めた。最愛の母・匡子さんが急逝したのは今月9日。悲報から短期間で調整し、大会出場に踏み切った真央は、亡き母に勝利をささげた。SP3位の鈴木明子(26)=邦和スポーツランド=は2位。SP首位の村上佳菜子(17)=愛知・中京大中京高=はフリーでのミスが響き、3位に終わった。来年3月にフランスのニースで行われる世界選手権の代表には、浅田、鈴木、村上の3人が選ばれた。
 天を見上げるポーズで演技を結んだ真央の瞳の先には、「真央、良くやった」とうなずく母の笑顔が見えただろうか。リスト作曲『愛の夢』のピアノ旋律に同調して美しく、そして強く。思いいっぱいに滑りきった。クリスマスの夜、真央は今月9日に48歳の若さで亡くなった母・匡子さんに金メダルを届けることができた。
 「自分もすごくうれしいですし…。母も喜んでくれていると思います」。会見場で真央は一瞬言葉に詰まり、感極まった。代名詞のトリプルアクセル(3回転半)を封印し、総合力で勝負に出たが中盤以降に2度のジャンプミスが出た。
 演技後は「あー、悔しい」と連発、納得はできなかった。それでも上位陣にミス続出の消耗戦を制してつかんだ全日本で5個目の金メダル。特別な思いが詰まっている。
 亡き母に見せているかのような演技。浅田親子を知る関係者は匡子さんについて「真央の母親であり、先生であり、友人だった」と回想する。母親が“第2のコーチ”と言われるこの世界。匡子さんはフィギュア未経験者だが、勉強熱心で有名だった。日々の練習でコーチから聞いたジャンプの理論やチェックポイントをB5サイズのメモ帳に図などを交え、聞き漏らすことなくメモ。個別練習で直接指導する際に活用した。「素人が何を指導して…」と外野の声も耳に入ったが、「私が(姉の)舞と真央を誰よりも一番見ている」と、いちずな信念が揺らぐことはなかった。二人三脚で戦ってくれたことに感謝を込めて舞った。
 国内トップを決める暮れの全日本選手権。例年なら試合後に、宿舎近くの焼き肉店の一席に座る浅田親子の姿があった。試合に向けて我慢していた好物の焼き肉を、ご褒美に口にする真央。そして、ただうれしそうに見つめる匡子さん。もう、その光景は見られない。深い悲しみを癒やすため、しばし羽を休めたら来年3月の世界選手権が待っている。「母への報告? 今日も一番近くにいるような感じがしたので、何も報告しなくても分かっていると思います」。2014年ソチ五輪の金メダルへ、母への愛を胸に真央の戦いは続く。 (中谷秀樹)

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女子で優勝した浅田真央(内山田正夫撮影)

真央、佐藤コーチと厚い信頼/フィギュア

2011.12.26 05:03 サンスポ

フィギュアスケート全日本選手権最終日(25日、大阪なみはやドーム)女子フリーは、9日に母・匡子(きょうこ)さん(享年48)を亡くしたばかりの浅田真央(21)=中京大=が118・67点をマーク。ショートプログラム(SP)との合計184・07点でSP首位の村上佳菜子(17)=中京大中京高=を逆転し、2年ぶり5度目の優勝を飾った。
 母、匡子さんは真央をフィギュアの道に導き、練習場への送り迎えなどで競技生活を支える一方、コーチ選びや衣装、音楽の選択にもかかわってきた。その母はもういないが、真央は一人きりではない。昨季から師事する佐藤信夫コーチの妻、久美子コーチが白色のスケート靴を好むと耳にし、今季は長年愛用したベージュから替えた。21歳は温かく支えてくれる周囲と、信頼関係を築き上げている。
(紙面から)

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得点を待つ間に笑顔で手を振る浅田真央(中央)。右は佐藤コーチ、左は同コーチ夫人の久美子コーチ

浅田真央、恩師も驚く精神力/フィギュア

2011.12.26 05:04

 フィギュアスケート全日本選手権最終日(25日、大阪なみはやドーム)母との悲しい別れを乗り越えて優勝した浅田真央(21)=中京大。会見では「気持ちはやはりちょっと違っていた」と振り返り、2年ぶり5度目の日本一に感慨深げだった。また、佐藤信夫コーチ(69)ら真央をよく知る関係者は精神的な強さをたたえ、さらなる成長に期待した。

 浅田真央が師事してきた恩師たちも、強靭(きょうじん)な精神力で優勝した21歳の女王にエールを送った。
 現在、二人三脚で歩む佐藤信夫コーチ(69)は「今まで経験したことのない中での試合。重圧もあり、気の許せない状態だったと思う」。大会へ向けて最も気を配ったのは疲労の蓄積だった。「あの手この手で練習を中断する方向に持っていった。これまで毎日コツコツと努力を積み重ねていたから、体は動くと思っていました」と信頼の言葉を並べた。
 一方、昨季序盤に指導し、鈴木明子のコーチでもある長久保裕氏(65)は「肉親を亡くしてすぐにあれだけの演技ができる。素晴らしい。やはり世界選手権を2度制しただけはある」と精神力の強さに感服。「明子もそうだが、練習を3日休むと戻すのに4日はかかる。そう簡単なことじゃないよ。ただ、今回は時間がなかったが、世界選手権までは時間がある。その分、いろいろと考え過ぎないことが大切だと思う」と今後を気遣った。
 ジュニア時代のコーチで、現在は村上佳菜子を指導する山田満知子コーチ(68)は「あの子は強いですよ。(きょうも)“お母さんが降りてきた、これで喜んでいると思う”と言っていた。幼いころからそうだった。頑張るでしょう、これからも」と、かつての教え子を優しい目でみつめていた。
(紙面から)

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表彰式を終えるとファンのもとに。声援に笑顔で手を振って応えた(撮影・中川春佳)

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佐藤コーチの言葉を守り、演技中は真央スマイルを絶やさなかった(撮影・中川春佳)

母の願い「愛されるスケーター」証明 ライバルも応援

フィギュアスケート全日本選手権最終日 女子フリー (12月25日 大阪・なみはやドーム)

 金メダルを獲得することよりも大事なことがある。浅田の母・匡子さんが生前、願っていたことがある。「成績も大事だけど、それよりもみんなから愛されるスケーターになってほしい」。母の思いが現実になったように悲しみを乗り越えて迎えた今大会、浅田は多くの人に支えられていた。

 「内心、そっとしておいてあげられたら、という気持ちがある」と話していた佐藤信夫コーチら浅田に近い関係者は、匡子さんの死には触れず普段通り接した。気丈に演じきった愛弟子を佐藤コーチは「想像を超えた苦しみがあったと思うけど、日頃の真面目な取り組みが助けてくれた」と称えた。浅田との師弟関係は2シーズン目。同コーチの妻、久美子コーチが白色のスケート靴を好むと耳にした浅田は、今季は長年愛用していたベージュから白に変えた。深い信頼関係で結ばれていることの表れだった。

 高橋、小塚ら選手も同様だった。22日の開会式では、仲間と談笑する浅田の姿があった。少しでも心を軽くしてあげようという配慮が感じられた。鈴木は「いろいろあった中で、いつも通り試合をしているのは素晴らしい」と後輩を気遣った。

 海外からも温かいサポートがあった。元コーチのタチアナ・タラソワ氏(64=ロシア)からは激励、バンクーバー五輪のSP直前に母を亡くしながら銅メダルを獲得したジョアニー・ロシェット(25=カナダ)からは悲しみを共有するメッセージが届いた。

 観客も同じ思いだった。演技前の練習では浅田がジャンプを決めるたびに「真央ちゃん、その感じ!」と声援が飛んだ。

 もちろん家族の支えは大きかった。この日、父・敏治さん、姉・舞は名古屋市内の自宅で好演技を祈っていた。匡子さんの思い描いた通り、浅田は間違いなく愛されるスケーターになった。

2011年12月26日 06:00 スポニチ

真央、3回転半「もう少しで完璧」四大陸で跳ぶ…フィギュアス

◆フィギュアスケート20+ 件 全日本選手権最終日(25日、大阪なみはやドーム) 女子フリーを行い、SP2位の浅田真央(21)=中京大=が合計184・07点をマークし、逆転で2年ぶり5度目の優勝を飾った。クリスマスの夜に9日に亡くなった母・匡子(きょうこ)さん(享年48歳)に金メダルをささげた。SP首位の村上佳菜子(17)=中京大中京高=は172・69点で3位だった。

 日本連盟は来年3月の世界選手権(フランス・ニース)などの代表を発表し、真央は世界選手権と四大陸選手権(来年2月、米コロラドスプリングズ)代表に選出された。今大会はトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)をSPとフリーで封印したが、真央は「もう少しで完ぺきになる。次の試合では降りたい」と意欲。佐藤コーチの指導でジャンプの完成度をさらに高め、次戦の四大陸で大技成功を目指す。

 代名詞の復活に光が見えてきた。真央は「試合を重ねるごとに自分の3回転半が戻ってきてると感じてる」と自信。この日は「3回転半をやって負荷をかけてリズムが乱れてしまうより、最初きれいに流れに乗っていった方がいい」と回避を選択したが、“大技解禁”に向けて確実に歩を進めている。

 昨年2月のバンクーバー五輪ではSP、フリーで計3回成功し、銀メダル獲得の原動力になった3回転半。だが年々成功率が落ちており、昨季は全6試合で11回跳び、2回しか成功できなかった。この日も回避を勧めた佐藤コーチは「今季見てきた中で今朝のジャンプが一番良かったが、やはり完ぺきにクリーンではなかった。(回避は)総合的な見解だった」と話した。

 3回転半は失敗すれば減点が大きく、2回転半で跳ぶよりも点数が低くなる場合がある。それでも佐藤コーチは「このままいけば可能性はかなり高くなる。何とか使えるようになりたい」と世界選手権での完成を目指していくことを明かした。

 五輪後に真央はジャンプの修正を決意し、1回転から跳び直して練習。昨年9月から師事する佐藤コーチの下でスケーティングの基礎から見直した。滑りを改善したことでスピンやステップが向上し、大技がなくても勝てるようになった。佐藤コーチの妻、久美子コーチが白色のスケート靴を好むと耳にし、今季は長年愛用したベージュから替えるなど、信頼関係を築き上げている。

 「自分にとって最高の演技には3回転半が必要」という信条は揺るがない。ソチ五輪での金メダルを目指し、最大の武器を必ず再生させる。

(2011年12月26日06時02分 スポーツ報知)

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ジャンプを決める浅田

お母さんやったよ、真央 逆転で2年ぶり5度目V…フィギュア

◆フィギュアスケート 全日本選手権最終日(25日、大阪なみはやドーム) 真央は勝ったよ、お母さん―。女子フリーを行い、SP2位の浅田真央(21)=中京大=が合計184・07点をマークし、逆転で2年ぶり5度目の優勝を飾った。クリスマスの夜に9日に亡くなった母・匡子(きょうこ)さん(享年48歳)に金メダルをささげた。SP首位の村上佳菜子(17)=中京大中京高=は172・69点で3位だった。浅田ら男女8人が来年3月の世界選手権(フランス)の代表に選ばれた。

 演技を終えると、真央は思いをかみしめるかのように瞳を閉じた。そして短くほっと息を吐いた。「自分もすごくうれしいし、母も喜んでいると思う。(母は)一番近くにいてくれるような感じだったので、何も報告しないでも分かっていると思う」。悲しみをこらえて全日本女王に返り咲き、天国の母・匡子さんに最高のクリスマスのプレゼントを贈った。

 9日に母が亡くなってから17日目。「やはり、いつもと気持ちが違った」と心は揺れていたが、冷静に勝負に徹した。冒頭に組み込んだトリプルアクセルは朝の練習で3回決めるなど上り調子に見えたが、直前に佐藤信夫コーチ(69)の助言を聞いて回避する安全策を選んだ。

 フリーは昨季と同じリストのピアノ曲「愛の夢」に乗せたプログラム。振り付けを担当したカナダ人のローリー・ニコル氏から、匡子さんが亡くなった直後に「頑張って」というメッセージが届いた。最初に2回転半を成功したが、後半の3回転サルコーが2回転に。最後に跳んだ3回転ループは2回転になった上に着氷が乱れた。リンクを降りた真央は第一声、「あ~くやしい! ループがくやしい」と苦笑いした。フリーでは鈴木に次いで2位だったが、優勝した11月のロシア杯の183・25点を超え地力の高さを証明した。佐藤コーチは「想像を超えた苦しみがあったと思う。日ごろの真面目な努力のたまもの」とたたえた。

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女子フリーの演技を終えて充実した表情を見せる浅田真央

 葬儀翌日の13日から愛知・豊田市の中京大リンクで練習を再開した。その時、15歳まで教わった山田満知子コーチ(68)にリンクで言葉をかけられると、人前ではこらえていた涙があふれた。「今までママは真央の横にいてくれたけど、これからは真央の中にいる」。山田コーチが「じゃあ、真央じゃなくて“ママオ”だ」と言うと、「うん、ママオ」と答えたという。その後は涙を見せずに練習に集中。一緒に練習する小塚崇彦の父で、68年グルノーブル五輪代表の嗣彦さん(65)は「お母さんのことは一切口に出さず、黙々と滑っていた」と振り返った。

 試合後も、気丈な姿勢を崩さなかった。「毎日練習で忙しくしていたので、気持ちをしっかり持つことができた」。途中で今にも泣きそうに顔がこわばったが、懸命に平静を保って話した。

 来年は世界選手権で女王奪還に挑む。「昨季は不安があった状態で世界選手権に入ったが、今季は安定した状態で入れる。世界選手権に向けてレベルアップできるように頑張りたい」。つらくても立ち止まらずに滑り続けるのは、母の夢だった14年ソチ五輪金メダルのため。胸の中に永遠に生きている匡子さんと一緒に、真央は笑顔で戦い続ける。

 ◆浅田 真央(あさだ・まお)1990年9月25日、名古屋市生まれ。21歳。中京大中京高から中京大に進学。トリプルアクセルを武器に15歳だった05年GPファイナル優勝。初出場だった10年バンクーバー五輪で銀メダル。世界選手権は08年に初制覇し、10年に日本人初となる2度目の優勝。2連覇を狙った11年世界選手権は6位。今季は11月のロシア杯で3季ぶりのGP優勝。163センチ、50キロ。

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表彰台でメダルを手に記念撮影を行う(左から)鈴木明子、浅田真央、村上佳菜子


浅田選手は、彼女を見守る温かい人たちに今後も、更に大切にしていただけると思います。

佐藤夫妻コーチは、もちろん、山田コーチの温かい言葉、長久保コーチもエールを送ってくださいましたね。

小塚パパの小塚嗣彦さんも、息子のこづ君とともに、今後も沢山のアドバイスをしてくださると思います。

練習仲間のこづ君も、真央ちゃんを心配ってくれる事でしょう。(ここは男の見せどころでしょうか? )

浅田選手の、この言葉「今までママは真央の横にいてくれたけど、これからは真央の中にいる」は、本当に胸がつまってしまいます。o(;△;)o

この些細な言葉だけですが、お母様が、どれだけ娘二人に愛情を注いできたか、また真央ちゃんの成長はお母様の努力がどれだけ大きいかが理解できてしまう重い言葉なのですよね……。

子供は親を選んで生まれてくるという話があります。真央ちゃんも匡子さんを選んで生まれてきたのでしょう。そしてスケートをするために、運命づけられていたのでしょうね。

彼女なら、自分をサポートして強くしてくれると思ったのだと思います。

真央ちゃんは、その通りに、世界の一流選手となりました。

そして今後も、進化を続けると思います。

浅田選手の人気は、ますます上がるでしょう。そして、実力も技術も更に向上して、誰も到達できない次元へと更に進化していくのは確実な事となると思います。



↓別ブログに、世界選手権代表ニュースを紹介しております。

http://ameblo.jp/shuppansport/entry-11117559030.html
世界フィギュア日本代表決定!

浅田選手の更なる進化を祈りたいと思います。(。-人-。)

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