浅田真央選手、優勝おめでとう | フィギュアスケート研究本

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mao asada 浅田真央 会見 & タラソワからのメッセージ

浅田選手、母への思い胸に=悲しみ乗り越え栄冠-全日本フィギュア

25日に大阪府門真市のなみはやドームで行われたフィギュアスケートの全日本選手権で、女子の浅田真央選手(21)=中京大=が優勝した。9日に母の匡子さんが48歳の若さで亡くなったばかり。しかし、「スポーツ選手としてやるべきことができた」と日本一を争う舞台で涙は決して見せなかった。
 5歳でスケートを始めてから、練習場への送り迎えや演技へのアドバイスなど、匡子さんは競技生活を支えてくれた。遠征先のカナダで病状悪化の知らせを受けて急きょ帰国したが、成田空港で匡子さんが亡くなった知らせを受けると、涙が止まらなかったという。
 葬儀翌日の13日には練習を再開。「自分の夢に向かって、やるべきことをしっかりやることが、お母さんも喜んでくれること」との思いがあったからだ。観客からの、ひときわ大きな「真央ちゃん、頑張れ」の声援を背にフリーの演技に臨み、前日のショートプログラム2位からの逆転で優勝を勝ち取った。
 姉の舞さん(23)は自身のブログで、病床の匡子さんが「真央に弱っている姿を見せたくない」と語っていたことを明かした。病魔と闘いながら、最期まで娘を思いやった母。5度目の優勝の意味を問われた浅田選手は、「自分もすごくうれしい。(母も)喜んでくれると思います。一番近くにいるような感じがした」。親子の絆が、栄冠へ導いてくれたと実感している。 

(2011/12/25-22:37)時事

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フィギュア:最愛の母に最高のメダル

2011年12月25日 20時41分 更新:12月26日 1時3分

 大阪府門真市のなみはやドームで25日に行われたフィギュアスケートの全日本選手権で、浅田真央選手(21)=中京大=が2年ぶりに頂点に立った。「本当に、一番近くにいるような感じで、何も報告しなくても分かっていると思う」。今月9日に母匡子(きょうこ)さんを48歳で亡くした悲しみを乗り越え、最愛の母に、最高のメダルの色を届けた。

 両手で体を包み込むような仕草をし、穏やかな表情で上空の一点を見上げる。約4分間のフリーの演技を終えると、満員の観客から大きな喝采を浴びた。その光景を眺めながら浅田選手は、ほっとした表情を浮かべた。

 5歳から始めたスケート。リンクへの送り迎えなど競技生活をずっと支えてくれたのが匡子さんだった。今年になってからは、体調を崩していた母親に負担をかけまいと、車の免許を取得。自ら運転して練習に通うようになった。

 そんな母を亡くして2週間余りで臨んだ今大会。「いつもと気持ちが違う。普通の状態ではなかったので、どうなるかなと思った」と不安があったという。その重圧に耐えての優勝。指導する佐藤信夫コーチ(69)は「想像を超えた苦しみがあったが、それを助けたのはまじめに練習したおかげ」と振り返る。葬儀の翌13日から練習を再開。これまでと変わらず、1日3時間半練習をこなした。

 それは匡子さんが望んでいることだった。「生前、家族で約束した通り、自分の夢に向かってやるべきことをしっかりやることが、お母さんも喜んでくれることだと思う」と、浅田選手は葬儀を終えた12日にコメントしていた。

 優勝を決めたフリーのリスト作曲の「愛の夢第3番」には題名がある。「おお、愛しうる限り愛せ」。全身全霊を込めた氷上の舞には、天国の母もきっと喜んでいるはずだ。【安田光高】

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女子フリーの演技を終え、観客の声援に応える浅田真央=なみはやドームで2011年12月25日、幾島健太郎撮影

真央「トリプルアクセルも次の試合では跳びたい」

フィギュアスケート全日本選手権最終日 女子フリー (12月25日 大阪・なみはやドーム)

 女子フリーで浅田真央(21=中京大)はSP2位から逆転して2年ぶり5度目の優勝を飾った。

 全力を尽くすことが母の遺志だと浅田は信じていた。

 「今回も一番近くにいてくれている感じがした。何も報告しなくても、分かっていると思います」。全日本優勝で、まず一つ恩返しできた。

 「シーズン後半もいい形で進めると思う。トリプルアクセルも次の試合では跳びたい」。四大陸選手権(来年2月、米国)、世界選手権、そして14年ソチ五輪へ。悲しみを乗り越えた浅田が、これからも舞い続ける。

2011年12月26日 06:43 スポニチ

真央、天国の母に届けた逆転V!

「フィギュア全日本選手権最終日」(25日、なみはやドーム)

 女子フリーなどを行い、ショートプログラム(SP)2位の浅田真央(21)=中京大=はトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を跳ばず、ほかのジャンプにもミスがあったが、合計184・07点で逆転し、2年ぶり5度目の優勝を果たした。SP3位の鈴木明子(邦和スポーツランド)がフリーで順位を一つ上げて2位。SPで首位だった村上佳菜子(愛知・中京大中京高)は3位だった。浅田、鈴木、村上は世界選手権(来年3月・ニース=フランス)代表を決めた。

 柔らかく、優しい舞だった。自らの体を抱きしめるようなフィニッシュ。真央は天を見上げながら、一度だけ目をつむった。完ぺきではなかった。ただ、自分ができるベストは尽くせた。「2011年を優勝で締めくくれて、すごくうれしいです」。降り注ぐ温かい拍手に包まれながら、心の底からの笑みがようやく浮かんだ。

 予定していたトリプルアクセルは、ダブルへと変更した。昼の練習では3回成功。直前の6分間練習でも成功したが、この日だけは大きなミスはしたくなかった。「いつもと違う緊張があって、どうなるんだろうと思った」というSPとは一転、ゆったりとした『愛の夢』の旋律に乗せ、笑顔で伸びやかな演技を披露。5000人以上が集まった会場は、まさしく真央の愛に包まれた。

 9日に母・匡子さんを亡くしてから、人前ではとにかく気丈に振る舞った。だが、母の容体が急変し、GPファイナルの行われたカナダから緊急帰国する最中は涙が止まらなかったという。同行していた佐藤コーチは「ずっと泣いていた。でも、それが当たり前。ごく普通の女の子なんです」と振り返る。

 それでも前を向き、全日本出場を決めたのは、何よりそれが母の遺志だと思ったからだ。昨年のバンクーバー五輪で銀メダルに終わり、悔し涙が止まらない真央に、匡子さんは「いつまでも泣いていては駄目」と優しく諭したという。亡き母の教えを胸に刻み、必死にスケートと向き合った。

 試合後、唯一声を詰まらせた言葉‐。「母も…喜んでくれていると思います」。たくましく滑りきった娘の演技に、きっと匡子さんも笑みを浮かべているに違いない。

 この日も真央は最後まで涙を見せなかった。母と約束した14年ソチ五輪での金メダルに向け、歩みは止められない。だから笑った。とびきりの笑顔で。“もう大丈夫”。天国の母にそう告げるように‐。

(2011年12月26日) デイリースポーツ

浅田一問一答「(母は)一番近くにいるような気がした」

2011.12.25 22:55 産経ニュース

 優勝した浅田は演技から約2時間半後、記者会見し亡くなった母について聞かれると、目を潤ませる場面もあった。

 -今の気持ちは。

 「優勝で締めくくることができて、今はすごくうれしい。(母も)喜んでいると思う。演技中も伸びやかに、笑顔を忘れないようにした」

 -これまでの優勝との違いは。

 「いつもと違う状況の中で、しっかりといつも通りに演技ができた。SPは普通の状態ではなかった。どうなるのかなという気持ちだった」

 -調整の難しさは。

 「試合が近づくにつれ、毎日練習で忙しく、ご飯も食べて(母の死去を)考える時間がなかった。気持ちをしっかり持てた」

 -母への報告は。

 「今回も一番近くにいるような気がした。何も報告しなくても、分かってくれている」

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女子フリーのフィニッシュで笑顔を見せる優勝した浅田真央=大阪なみはやドーム

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優勝カップを受け取り、笑顔を見せる浅田真央=25日、なみはやドーム(中川春佳撮影)

浅田真央が目を潤ませ優勝会見「…(母も)喜んでいると思う」

2011.12.25 21:21 産経ニュース

ずっと笑顔を絶やさなかった浅田の目がうるんだ。優勝後の会見。これまでの優勝との違いを聞かれると、「本当にうれしいですし…、(母も)喜んでいると思います」と言葉をつないだ。

 いつも寄り添ってくれていた母、匡子さんが9日に死去。悲しみの中での強行出場だった。葬儀翌日の13日からリンクに戻ったが、この間の休みがスケートにも影響していた。佐藤信夫コーチは「急激に練習を再開したので、筋肉痛を起こし、なかなか痛みが取れなかった」と打ち明ける。

 ピンチを支えたのは、日々の鍛錬の積み重ねだった。佐藤コーチは「日ごろの努力の継続で、体が動いたんでしょう」とうなった。

 オフは匡子さんの病床時も体幹を鍛え続けた。フリーの後半まで、滑りきる体力を培った。代名詞のトリプルアクセル(3回転半ジャンプ)に頼らない演技を目指し、オフにスケーティングやステップの技術を磨き、“脇”を固めた。

 「笑顔で、華やかに伸びやかに滑ること」を心がけたフリーの演技曲は、十分に滑り込んできた大好きな「愛の夢」。SPに続いてトリプルアクセルを回避し、他のジャンプにも乱れが出たが、それでも総合力で他を上回った。

 「スポーツ選手として、いまやるべきことをやる」。アスリートとしての自覚が導いた逆転での日本一。母の死を乗り越えた笑顔の浅田の姿があった。

  (田中充)

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フリーの演技の前に涙をぬぐうような仕草をする浅田真央=25日、なみはやドーム(中川春佳撮影)

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フィギュアスケートの全日本選手権女子で優勝し、観客の声援に手を振って応える浅田真央選手。左は2位の鈴木明子選手。右は3位の村上佳菜子選手=25日夜、大阪府門真市の大阪なみはやドーム

「喜んでくれる」亡き母に優勝届けた浅田真央

「ファンの方に笑顔を見ていただこうと思っていました」――。

 25日に大阪府門真市のなみはやドームで行われたフィギュアスケートの全日本選手権最終日。9日に母親の匡子きょうこさん(享年48歳)を亡くした悲しみも癒えない中、この大会に出場したバンクーバー五輪銀メダリストの浅田真央選手(21)(中京大)が逆転優勝。「たくさんの声援を受け、多くの方に守られているんだと感じた」と、詰めかけたファンの大きな歓声に応えた。

 5度目の全日本選手権優勝。これまでの4回と、どう違うのかと、報道陣に尋ねられると、「自分もうれしいし、(母も)喜んでくれると思います。一番近くにいると感じていたので、何も(優勝を)報告しなくても、わかってくれると思います」と、語った。

 例年、クリスマスの時期と重なって開催される全日本選手権。浅田選手は姉の舞さん(23)と一緒に小学生時代、この舞台に出場するようになった。すると、それまでそっと部屋に置かれていたクリスマスプレゼントが名古屋市の自宅に帰っても見つからなくなった。姉妹は、大会に付き添っていた両親が贈ってくれていたことを初めて知ったという。両親の愛情を深く感じた大会でもある。その舞台で、浅田選手は天国に旅立った最愛の母親に、優勝というクリスマスプレゼントを届けた。

(2011年12月26日00時34分 読売新聞)

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観客に手を振る浅田(手前)。後方は鈴木(25日午後、大阪府門真市で)=菊政哲也撮影

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フィギュアスケートの全日本選手権女子で優勝し、メダルを手に笑顔を見せる浅田真央選手。左は2位の鈴木明子選手。右は3位の村上佳菜子選手=25日夜、大阪府門真市の大阪なみはやドーム

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フィギュアスケート全日本選手権で優勝し、メダルを手にほほ笑む浅田真央。浅田は前日のショートプログラム(SP)で村上佳菜子に次ぐ2位だったが、合計184.07点で逆転し、2年ぶり5度目の優勝を果たした(大阪・なみはやドーム)(2011年12月25日) 【時事通信社】


タラソワさんの真央ちゃんへのメッセージ、泣けますね。(T▽T;)

癒してくれるのはリンクだけ、お母さんが夢見ていた事、あなたの滑る姿が大好きだった、は重い言葉です。。・゚゚・(≧д≦)・゚゚・。

真央ちゃんにはたくさんのファンと、支えてくれる関係者が大勢います。

努力と忍耐を続けてきた浅田選手を、これたらもたくさんの方々が愛して応援してくださると思います。

お母様も、見守ってくださっているでしょう。真央ちゃんとお母様、家族の絆の強さに感服です。

日本の家族の鏡ですよね。(゚ーÅ)

今後、本当に強くなった浅田選手は、みんなの前へ、さらに進化した姿を見せてくれる事でしょう。



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