今日も快晴。
はい、朝から順調に寒いです。
9℃。
更にバイクなんで体感温度はもっと低いです。
さ、今日は大船渡から。
何やら人だかり。
その先には、すべり台。希望のすべり台。
いい景色。
瓦礫の山。
恋し浜駅。
待合室には絵馬がたくさん。
マンガも置いてある。持ってかれないのかな?
小石浜という地域にある駅で、恋し浜ってモジったみたい。
しかし、浜と言っていいのかってくらい山の中。笑
恋し山の方がしっくりくるなー。
仮設店舗。
仮設商店街。
ガードレールが曲がっている。
壊れた堤防。
釜石市。
最も有名な釜石大観音。
時間がなかったので後姿だけ。
人力では考えられないくらいの曲がり方。
残されたピアノ。周りは草だけ。
音は出なかった。
このように1階だけ色が違う家が多かった。
1階だけ被災してる家も多いので、そこだけ直したのかもしれない。
住宅街が壊れ、広々としたスペース出来てるのが寂しい。
山田町。
元々駅だった場所。駅舎は何もない。元・陸中山田駅。線路もない。
海辺。壊れたガードレール。
割れた道路。
バスの待合所がバス。笑
中々ユーモアある。
宮古市。
宮古駅。
臨時の駅の中。
三陸鉄道の宮古駅。JRの宮古駅の隣。
ここ3日間、すごい快晴だった。
快晴と被災地。
快晴の被災地。
青空が逆に悲しさを倍増させた。
勝手に悲しくなってるのはおれなんだけどね。
本当は良くないことなのかもしれない。
今日は釜石市が印象に残った。
特にピアノが。
なぜピアノだけがあるのか?
家が津波で流されたのにピアノだけが残ってるとは考えにくい。
地震か?
地震で家は壊れたけど、ピアノだけ無事だったってことかな?
3台固まってた置いてあった。
ピアノ一家だったのかな?
子供が習ってたのかな?
色々想像してしまいます。
三陸は海がキレイだ。
波も静かだし、見てて癒される素晴らしい海だ。
この海が、人々の恐怖になった。
多くの人の命を奪い、家や居場所を奪い、大切なものを奪った。
海を見ていると、この海がそんな凶器になったとは思えない。
昨日、一昨日もそうだったんだけど、住宅街がなくなって広々としたスペースが空いているのを見ると泣きそうになる。
今まで住宅が立ち並び、たくさんのコミュニケーションが取られていたであろう場所。
大切な場所。
思い出の場所。
それが、今はない。
何も残っていない。
街の多くの場所には瓦礫の処理スペースが設けられている。
震災前はそんなための場所ではなかったであろう場所。
瓦礫、倒木、車、船。
様々なものが運び、処理される。
未だに処理されていないものの方が圧倒的に多いだろうけど。
突然だが、その地域に100件家がある中で1件だけ被災したとする。
当事者でない人は、100分の1か、被害が少なくて良かったって思うだろう。
けど忘れてはいけない。
被災した人からしたら、1分の1だということを。
唯一の自分の家が壊れる。
それがどんなことか。
立場が違えば考えも変わる。
だから戦争とかも起きるんだろうけど。
だけどさ、どっち側の気持ちも考えるのが大切だと思う。
難しいことだけど、それをすれば何が必要か、想像ができるはずだから。
それが正解かはわからないけど、相手の立場を考えて行動することが大切な気がします。
偉そうに感じたかもしれません。
すみません。
さて、話を変えて…。
今日は失敗してしまいました。
せっかくなので、本州最東端の魹ヶ埼(とどがさき)に行こうと思って行ったんだけど、遊歩道が片道4kmほどあるんだね。
着いたのが15時40分くらい。
歩いて帰って来たら真っ暗になっちゃうから行かず。
せっかく40kmくらい遠回りしたのに…。
むだ足でした。
そのまま宮古に行けばよかった。
そのせいで宮古に着いたのが16時30分すぎ。
すでに暗くなり始めていたので、浄土ヶ浜にも行けなかったし、宮古の街もあまり見れず。
17時で真っ暗なんだもん。
残念。
今日もだいぶ走りました。
4つくらい峠を越えましたねー。
もう気分は頭文字Dです。
まー、頭文字Dはクルマだけど。
この半年の旅でバイクの運転は相当上手くなったでしょうねー。
しっかし宮古から盛岡に来たんですけど、ハンパなく寒かった。
シバリングが止まらない。
このままじゃマジでやばいかも…。と、思いました。
寒すぎて眠くなったもん。
途中の個人経営の店でガムを買い、難を逃れました。
明日は雨らしい。
んー、お休みかなー。
雨はしんどいもんなー。
盛岡の街に繰り出そうかなー。
盛岡出身の子に、
『盛岡でなんかおすすめないー?観光でも食べ物でも。』って聞いたら、
『ない、龍泉洞に行けば?』って。
盛岡じゃねぇじゃねぇか!!笑
明日は何をしましょうかねー。
考えます。