ダヴィンチはもともと右利きだった?

 ご存じの通り、レオナルド・ダ・ヴィンチは鏡文字を多用していた。なぜ、鏡文字を使用していたのか。左利き説、暗号説などと諸説あるが、どれも彼が鏡文字を多用した理由を説明するのに決定打となるものではない。特に、暗号説など馬鹿げている。少し訓練すれば、鏡文字ぐらい両利きの人間には誰でもかけるし、鏡を使わずとも解読することは可能である。しかも、英語は26文字のアルファベットからなる。多くの文字を有する日本語と異なり解読は容易である。

 左利きの人間にとって、鏡文字を使用する事には利点がある。まずは、その利点を挙げてから、彼がなぜ鏡文字を使用していたのかを述べてゆく。

 

 左利きで文字を書く際に、いろいろと苦労する点がある。その苦労を体感するために、軽く実験を行ってみる。

右手で大きく「Q」と一筆書きて書いてもらいたい。どのように描いただろうか。当然、時計回りに丸を描いて、最後に筆を滑らかに折り返して書いた事だろう。今度はそれを左手で同じことをしてみてほしい。何か違和感を感じないだろうか?

当然、違和感がある事だろう。なぜなら、この世界のほぼすべての文字は、右利きの人間が書きやすい書体で書かれているのだから…。

 

 右手で円を描く際、これまた時計回りに筆を動かすことになる。なぜ時計回りなのか。それは書いた直後の文字を認識するためである。書いた後の文字を認識する事により、文字にバランスを持たせている。なぜ、文字にバランスを持たせるように書くのだろうか。

 それは可読性を高めるために他ならない。

 文字のサイズや書体に統一性がなければ、だれも読んでくれないだろう。

 それに、誰もが始めから円を書けるわけではない。はじめは、楕円に近い円を書くことだろう。そのときに、反時計回りで書いてしまっては、右手によって以前書いた文字が隠れてしまい、きれいに描くことが出来なくなる。ゆえに、右手で書く場合、文字や図形は基本、時計回りを意識して書くことになる。そうすることにより、文字が利き手で隠れてしまう危険性を排除できる。ここで、左手で「Q」の鏡文字を書いてみてほしい。今度は、反時計回りに描いたことだろう。左利きの人間が鏡文字を使用することは、何もおかしな話ではないのだ。

 むしろ、左利きの人間ならば、鏡文字を書くことは当然ともいえる。バランスを意識して、大きく文字を書こうとすると、文字は自然と鏡文字へと遷移する事になる。ダ・ヴィンチは、ただ単に、鏡文字の有用性を理解し、愛用しただけなのである。

 

 「 利き手 」 と 「 脳 」 の関係 

 左利きで通常の文字を書く場合、頭の中で以前書いた文字のパーツをイメージしなければならない。それも無意識下で…。そうすることで、始めて綺麗な文字を書くことが出来る。そのときに使用される脳の領域は、空間認識や造形に関わる部位であろう。一方、右利きの人間は、空間認識や造形をする必要がないゆえに、論理的思考や言語能力に関わる部位が発達する。それゆえに、左利きの人間は右脳型と、右利きの人間は左脳型と呼ばれるのであろう。左利きで綺麗に文字が書けるという事は、それだけで絶対音感と同じくらい凄い才能なのである。

 

 左利きで、「早く、きれいな文字を書け」だなんて、そんな酷な話はない。右手に慣れている人間は気づきもしない。左手で文字のバランスを保つ大変さに…。しかし同様に、左利きの人間もまた、それに気づけない。左手でバランスよく文字を書くことが当たり前であると錯覚している。

 「左手でバランスよく文字を書くこと」の大変さに気づくことが出来るのは…。元々は右利きで何らかの要因で左利きに乗り換えたか、あるいは単に好奇心の強い人間ぐらいだろう。その点からも、ダ・ヴィンチが好奇心旺盛な天才であることが、うかがえる。

 

 あなたが「 片利き 」 なら、鏡文字を使用してはならない ⁉ 

 あなたが片利きで、かつ鏡文字を使用しているのなら、いずれは鏡文字から卒業しなければならない。

そして、あなたが右手で鏡文字を多用しているのなら、鏡文字の使用をすぐにやめた方がよい。

理由は次に述べる通りである。

 

 もし読者諸君が両利きであるのなら、右手は普通文字、左手は鏡文字と区別した方が利口である。文字を書く際、当然、瞬時に書きたい文字を書くことであろう。

 

 もし、右手で普通文字と鏡文字を併用していたらどうなるだろうか?

 

 ある時ふと、執筆中に「Sってどうやって書くんだっけ? 」と疑問を抱くだろう。

他にも、pとq、bとdも混乱の種となり得る。ひらがなの「し」とアルファベットの「J」も紛らわしい。

 

 だからこそ、混乱を避けるために、右手は書きやすい普通文字で、左手は鏡文字で統一する必要がある。このように固定してしまえば、混乱することなど滅多にない。だからこそ、ダヴィンチは、始めは左利きかであったかもしれないが、最終的に彼が両利きであったという事実には違いないのである。

 

 鏡文字の使用が、観察眼を鍛える担い手になった ⁉ 

 両利きであることの利はまだある。右手を普通文字、左手を鏡文字で書くように固定して、さらに、いつも右手で行っている動作を左手に置き換えるのである。

 例えば、バッティングフォームを右利きから左利きへと変えてみたり、ボールを投げる手を変えてみたり…。

 

 このようにする事で、観察眼が磨かれる。普段、無意識下に行っている動作をすべて左手に置き換えることにより、周囲の環境を観察する癖が自然と身についてくる。さらに、様々な文字を鏡文字に置換することにより、自然と文字を鏡文字に置換することが出来る。これにより、わざわざ手鏡を用意しなくても、流暢に鏡文字を読むことが出来る。そもそも、この能力がなければ、鏡文字で書くという利点を充分に発揮できない。

 

 おそらく、左手を使用して普通文字で綺麗に書くことは、絶対音感のように幼少期から少年時代の初期段階に身につけないと習得しづらくなるのだろう。もし、ダヴィンチがもともと左利きだったら、そんな事実には気づくことは出来なかったのではないだろうか?

 右手から左手に転向して、書きづらさを覚えたからこそ気づくことが出来たのでは?

ダヴィンチが観察眼と言っているくせに、彼が観察眼を鍛えるため以外に、鏡文字を使用しないわけがない。そして、それが磨かれたからこそ鏡文字を多用していたのであろう。

 次は、なぜ右手優勢の文字が繁栄したのかを述べさせてもらう。

 

 利き手と北半球 

 なぜ右手優先の文字が、世界の大半を占めるのだろうか?

それには時計と深い関係がある。

右利きの人間は、液体の中に砂糖を溶かすとき、時計回りに回す。先ほどの「Q」と同じである。時計回りの方が、若干、回しやすい。逆に、左利きの人間は反時計回りに回す。この時計回りが重要になってくる。

 

 時計はなぜ時計回りに回っているのか。それは日時計と関係している。日時計は影の移り変わりで大まかな時間の流れを教えてくれる。日時計に限らず、北半球なら木の影も時計回りに回る。これにより時間の進みが体感できる。日時計により時間の進みが、「時計回りに回る」という概念が生まれた。そして、人々に時計回りという意識が根付くようになった。かつての人々は、日時計をなぞるように円を描いた事だろう。これを起点にして円を書く時にも、反時計回りでなく時計回りに描くようになった。文字をバランスよく描くのに、円が描けるかどうかは重要である。その次に、文字の可読性を高めようという意識が生まれた。こうして、曲線や線を描く時に、右手が有利に働くように文字が右利き優勢になるよう進化した。右手で文字を書くことによって、文字が利き手によって隠れる事がないように文字が進化したわけである。文明の発達に始まり、時計が生まれ、そして右利き有利の文字が生まれたというわけである。

 

 この仮説が成り立つためには、ある前提条件をクリアしなければならない。それは、「北半球を中心に文字を持つ文明が発達していなければない」という事である。もちろん、この条件は十分クリアしている。気候や地理的な条件により、文明は北半球で発達しやすかったのだろう。それが要因となって北半球を中心に文明が起こり、右利き有利の文字が世界の大半を占めるようになった。たとえ、左利き有利の文字が生まれたとしても、それは少数派である。それぞれの国が交流を円滑に図るために、左利き有利の文字は廃れていった事だろう。

 また、人類の大半は北半球で進化してきた。この点からも、私の仮説は有力であると言えよう。

 

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いままで、述べてきた事項は「天才の起源」にコラムとして記載してある。すべて、私の持論である。

(なお、「天才の起源」と検索しても出てきません。Amazonのサイトにて「天才 真理」と検索すれば、ヒットします。)