皆さんは読書するとき、どのように読みますか?
当然、文字を追いながら読むことになるでしょう。
その際に、文字の追い方によって、読書スピードが変わってくるのであろう。
黙読は非効率 ⁉
一番、非効率な読み方は、頭の中で文字を音声化する黙読である。
もちろん、理解度に重点を置くなら、黙読は効率の良い読み方となるだろう。
たとえば、学術書などの難解な書物を読む場合は、黙読して、文字をかみ砕いて読む事により理解度が上がるであろう。
ただ、読書スピードを重点に置けば、効率の悪い読み方となるであろう。
文字をいちいち音声化して読んでいては、読書スピードに限界がくる。
心の声で早口で読む事を考えてみる。
そもそも、どのくらいのスピードが早口に当たるのだろうか?
アナウンサーは、1分間に300文字で話すことを目安にしている。
この2、3倍の600~900文字くらいが限界であろう。
丁度、平均的な読書スピードとなるが、、、
リラックスして読む事を考えると、これを毎回継続していてはストレスになるだろう。
結局、黙読でリラックスして読める文字数は、300~500文字程度であろう。
効率的な読書 ⁉
読書にスピードを求めるのなら、本を読む際に、音声化をしない方が無難である。
辞書を使って、調べたい単語の意味を調べるとき、いちいち頭の中で音声化をする事はない。
目で文字を追いながら、目的の単語を見つけ出すことだろう。
この動作をパソコンで例えるならば、「 ショートカット・キーの設定 」 が挙げられるだろう。
目的の単語を、「 ある特定のショートカット・キー 」に割り振ることにより、処理速度を上げている。
これは読書にも当てはまる。
複数の単語を、それぞれのショートカット・キーに割り振ることにより、
読書を、音声化せずにより効率よく、スピーディーに行うことが出来る。
( 読書家にとっては、当たり前のことなのかもしれないけど…。 )
そして、読書経験が長いほど、、、読書スピードが速くなっていく事だろう。
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これを読書経験の浅い人間は、「 速読 」 と呼ぶのだろう。
紙の辞書を使用しない事 + 本に触れる機会の皆無さ ⇒ 読書離れ ⁉
本に触れる機会がなければ、「 本を読む楽しさ 」 を知る機会が減り、
それによって、読書スピードが遅いままである事は当然としても、、、
「 紙の辞書を使用しない事が、読書離れに起因する 」 というのは、どういうことなのか?
その理屈はこうである。
まず、辞書を使用しなければ、頭の中で音声化せずに、文字を追う訓練を行う機会が失われることになる。
今の時代、Weblio ( ウェブリオ ) などのサイトや電子辞書を使えば、調べたい文字が瞬時に表示される。
利便性の背後には、常にデメリットという影が付きまとう。
今の場合だと、「 文字を追う訓練の機会 」 を失う事である。
瞬時に文字が出力されれば、文字を追う必要がないために、
「 文字のショートカット化 」 という便利なツールに気づく機会が失われてしまう。
そして、黙読することが読書だと思い込んで、
すらすらと読書をしている優等生に落ち目を感じて、読書嫌いになってしまう… というわけである。
( これは読書離れの1つの要因となるであろう。 )
教育の電子化は、私たちの気づかないうちに、、、読書という大切なものを奪っているのかもしれない…。
修練すれば、誰でも速読家に !?
スパイの日本版である 「 古来の忍者は、麻の木を利用して高いジャンプ力を身につけた 」 という。
実際に身につけたかどうかは別として、
理屈としては、「 麻の木の高い成長速度に比例して、その分、修練に励めば、、、高い成長が望める 」 という事であろう。
同じように、現在の最大スピードのちょっと上を意識して、、、
「 文字のショートカット化 」 を意識して、、、読書に励めば、、、
読書スピードは格段に上がることだろう。
10年もの修練に励めば、1分間に 2000~3000文字も夢ではないかもしれない…。
「 読書には緩急がある事 」 を忘れずに…
車の運転を例にとれば分かりやすい。
当然、自動車は、常に同じ速度で走っているわけではない。
場所によって、時速100キロで走行したり、40キロで走行することもあるだろう。
読書も、車の運転と同じである。
始めは、抵抗感があるかもしれないが、それは 初心者 特有 のものである。
慣れてしまえば、ドライブをするように読書を楽しむことが出来るだろう。
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