雪はまだ残りますが、日がだいぶ延びた感覚があります。
昨夜にオリンピックの閉会式が行われました。
冬季オリンピックは採点競技が多いと、ふと同僚が言っているのを聞き
何で競争するのかなと、人にどう見えてるかってところが大切なのかなと思いました。
職業上、多くのお宅を訪問することがあるのですが、
それぞれの家庭があって、それぞれの家の形があります。
何が起きるかわかりません。
それでもある程度の時間を予想して、一日のスケジュールを立てます。
何分かかるかわからない作業を、大体このくらいで終わると思ってうかがうのです。
もちろん、予想より早いときもありますが、まったく遅くなってしまうこともあります。
早いときはラッキーと思い、遅くなりそうだとついてないなとか思うのですが、
それってどうなのかなと思いました。
自分が勝手に予想したことに対して、それに反することが起きた時
そこで損する気分に自分を持っていくこと
そこで損を選ぶということは
自分で作り出している幻想に対して自分をそういう気持ちにしている遊び
でしかないのかなと思いました。
まるで、損を経験したいからわざわざその状況作り出しているのかなとさえ言えてしまうような。
そうなると、損をしてるのは自分の思い方でしかなくて
ただの勘違いかなと。
そう考えると、とらえ方ひとつで
たくさんのことが変わっていくようなわくわくを感じました。
その時その時でこうやって分析することができないこともあるけど
何がこんな気持ちにさせてるのかなと思うと
気持ちのひな形のような存在を見つけることができるのかなと
ただ、そう思ってしまうならそれもいいってことだし
あ、損て思ってる、って自分を責めなくてもいい
そこが、何重にもかけられた手品のような
よくできてるなと思うことがあります。
まずは自分の気持ちをよく観察して、どうしてこういう現実を作るのか探っていって
今いる場所でも、世界を変えること、世界のとらえ方を変えることはできると思うので
それを楽しんでいきたいと思います。