雪はまだ残りますが、日がだいぶ延びた感覚があります。


昨夜にオリンピックの閉会式が行われました。


冬季オリンピックは採点競技が多いと、ふと同僚が言っているのを聞き


何で競争するのかなと、人にどう見えてるかってところが大切なのかなと思いました。




職業上、多くのお宅を訪問することがあるのですが、


それぞれの家庭があって、それぞれの家の形があります。


何が起きるかわかりません。


それでもある程度の時間を予想して、一日のスケジュールを立てます。


何分かかるかわからない作業を、大体このくらいで終わると思ってうかがうのです。


もちろん、予想より早いときもありますが、まったく遅くなってしまうこともあります。


早いときはラッキーと思い、遅くなりそうだとついてないなとか思うのですが、


それってどうなのかなと思いました。



自分が勝手に予想したことに対して、それに反することが起きた時


そこで損する気分に自分を持っていくこと


そこで損を選ぶということは


自分で作り出している幻想に対して自分をそういう気持ちにしている遊び


でしかないのかなと思いました。


まるで、損を経験したいからわざわざその状況作り出しているのかなとさえ言えてしまうような。


そうなると、損をしてるのは自分の思い方でしかなくて


ただの勘違いかなと。



そう考えると、とらえ方ひとつで


たくさんのことが変わっていくようなわくわくを感じました。


その時その時でこうやって分析することができないこともあるけど


何がこんな気持ちにさせてるのかなと思うと


気持ちのひな形のような存在を見つけることができるのかなと



ただ、そう思ってしまうならそれもいいってことだし


あ、損て思ってる、って自分を責めなくてもいい


そこが、何重にもかけられた手品のような


よくできてるなと思うことがあります。




まずは自分の気持ちをよく観察して、どうしてこういう現実を作るのか探っていって


今いる場所でも、世界を変えること、世界のとらえ方を変えることはできると思うので


それを楽しんでいきたいと思います。

この世は魂の成長のためにあると仮定して


この体と呼ばれているものを手に入れるには相当大変だとしよう


その例として、100万年に一度海面に顔を出されることを許されたカメが


その大海原に浮かぶ一つの浮き輪のその穴に顔を出すぐらい


そうたとえる人もいる。



それと同じように、地球を身体として転生してくるものもいる。


それぞれ目的は違うにしても、同じ魂だとしよう。


60億人という人間がいる中で


宇宙にも果てしなくたくさんの星があるのかもしれない


魂の成長を考えた時に


地球上で生活する我々の目の前に起こることすべてが成長につながる


地球は地球で課題を持っているのだろう


我々は、共生という道もある中でそれを選ばず環境を破壊する


ここでいう環境破壊とは、やはり植物として生まれてきたものや


他の生物として生まれてきたもののことを考えない行為ととらえる


他の魂がいる中で、例えば人間の体を持っていないからとて


無視していることに変わりはない


そこに感謝がないということが、無視につながる


無視=気づいてない


だから、他の生物や鉱物にも魂があると強く訴える人たちがいるんだ。



しかし、オリンピックはやるものの、国連はあるものの


こういった話し合いがされているとは思えない。


権力のある人たちの中で、政治に関係している人たちの中で


こういった話が出てくれば、地球も少しは荷が下りるのだろう


そうすれば、他の惑星との交流も始まるし


異次元の存在も確認されるであろう。



ここにこういったことを書くことによって、少しでも多くの人と意識の中に


こういう話が入っていけばいいと思う。



この地球が持ってくれればいいし、この体があるうちに


他の惑星との交流が公で始まるのであれば


ただ単に楽しそう!!

昨日ある会社の主催したミーティングの仕方講座のようなセミナーに参加した。


会社をよくするための方法の一つとして、関係者でミーティングをしていくという内容。


集まったのは20人ほどで、風土開発という言葉を初めて聞いた。



風土開発とは、いわゆる会社内の環境を良くしていこうということ。


大きな会社にはそういうものがあるらしい。


どうして自分がそこに参加したかというと


社内で部署ごとに壁のようなものがある


ただ役割が違うだけなのに、お互いがお互いに迷惑をかけてるていで


空気が悪くなってしまうことがときどきある。


両方ともやっていればお互いの気持ちがわかるのだが


片方にしか参加してないと、相手の気持ちをくむことしかできない



結果、やっぱり単純なことなんだということだと思った。


意思疎通できてるかできてないかで、それをどうやって作っていくかということ


まあ、それが難しいんだけど。


でも、難しいと思っているそれをやるってことはわかった。



会社を地球に置き換えてみてそれが通用するのかなと思ったとき


世界中の人と意思疎通するってどういうことかなと思ったときに


国と国がお互いを理解できないとか


相手の土地を奪うだとか言っているうちは難しいのは当然だなと思った。


そこには信頼というよりも、得損得勘定がおおいに働いている


それではまだまだといわれるのも無理はない。


ならば、支援は受けられないまでもボトムアップという形で


ここがつながっていくことが今行われていることなのかなと



自分にできることは、まず自分のまわりに接する方法を変えること


相手の視点になること、かなと思う。


それぞれ違ってそれでいいと思うのに


一緒じゃないとダメって思ってる人もいる


何が根本にあるのかといえば


やはり誰もが幸せでいたいと思うし


それを望んでないのであればそれに気が付く必要があると思う


あるがままのその人を受け入れるとき


その人は自分が思っていることに気が付くのではないかなと