【映画評】「この世界の片隅に」を観た。泣いた。 | 陣内俊 Prayer Letter -ONLINE-
2016年12月21日(水) 21時00分00秒

【映画評】「この世界の片隅に」を観た。泣いた。

テーマ:読んだ本や観た映画

 

*長文です。

 お暇なときにどうぞ。

 

 

 

どうもぼくです。

 

 

たいへん、久しぶりです。

 

 

一週間というのは早いものです。

 

 

先週は教会でメッセージをしたり、

そのあと群馬県に4日間行ったり、

いろいろあったので、

今週はなるべく、

安静にすごしています。

 

 

安静にするときは、

寝ているか、

本を読んでいます。

 

 

とりあえず今は、

それが一番休まる。

 

 

本を読む気力もないときは、

ゲームをしてなんとか、

やり過ごすことにしてます。

 

 

で、

 

 

久しぶりのブログです。

 

 

いやね、先日、

映画を見に行ったんですよ。

 

 

そう、映画。

 

 

池袋で。

 

 

先日といっても、

だいぶ先日で、

もはや1ヶ月前のことです。

 

 

ちょうど体調崩していた頃です。

何かの用事で池袋に行くことがあり、

その帰りにこの映画を観ました。

 

 

「この世界の片隅に」

 

 

なんだかこの映画も、

観ておかなければならない映画だ、

という直観が働いたので。

 

 

わりかしぼくの

「映画センサー」は、

当たります。

 

 

借りてきたDVDがクソつまらなかったことは、

数えられぬほど何度もありますが、

映画館で観た映画が駄作だったことは、

この10年ぐらいは、あまり記憶にない。

 

 

「映画館で映画を観る」というのは、

お金も時間もかかりますから、

けっこう目の細かいフィルターがかかっていて、

「この監督で、この役者で、この感じだと、、、」

と想像して、「外れない」という基準があるわけです。

 

 

好きな映画評論家がぼくの場合2、3人いて、

その人たちの意見も参考にします。

 

 

、、、で、

「1000円だから観る」

みたいなことはしません。

 

 

「1800円払う価値のあると、

 確信が持てる映画を、観る」

という指針で選びます。

 

 

その日がたまたま1000円だったら、

ラッキーなだけです。

 

 

ちなみにこれって、

買い物にも言えます。

 

 

スーパーの食料品や、

事務用品の消耗品以外は、

「定価でも買う

価値のあるもの」しか、

買ったら駄目、

という原則を、

自分に課しています。

 

 

「とても安くなってるから買う」

という買い方で、

買って良かった、

ということは皆無だから。

 

 

定価でも買うであろうものが、

たまたま割り引かれていたら、

それはもちろん、

とても嬉しいのですが、

それは結果論であって、

思考を逆にたどることはしません。

 

 

 

、、、で、

 

なんだっけ?

 

 

 

そう。

 

 

「この世界の片隅に」を観た話。

 

 

終戦の年の8月6日に、

広島市に原爆が落とされました。

 

 

それを「軸」にして、

戦時中の人たちの日常生活を描く映画。

 

 

多分予算は、

「君の名は」の、

10分の1ぐらいなんじゃないかな。

 

 

人を感動させるのに膨大な予算は要らない、

ということがよく分かる。

 

 

わりと話題になっている映画なので、

どんな映画なのか、

観に行っていない人でも、

けっこう把握しているのかも知れない。

 

 

でも、

「この世界の片隅に」

という映画は、

今年のヒット作の中でもとりわけ、

「じっさいに観ないと分からない映画」だと思う。

 

 

つまり、「君の名は」だとか、

「シン・ゴジラ」だとかは、

あらましを説明することが可能で、

そしてそれを聞けば、

一応「わかった」ことにはなる。

 

 

千年に一度の隕石が、

岐阜県の山間部の街を壊滅させる。

 

 

時間軸がずれた「心身入れ替わり」によって、

お互いに惹かれ合うようになった高校生の男女が、

東京と岐阜県、未来と過去という時空を超えて、

協力して破局を回避する。

 

 

その二人の恋は果たして実るのか、、、。

 

 

「君の名は」は、

観なくても一応、

これで「分かった」ことにはなる。

 

 

 

東京湾に突如出現した不明生物。

上陸して形態変化を繰り返しながら

都市を破壊するその生物を、

日本政府は「ゴジラ」と名付けた。

 

 

日本の官僚機構と政府は、

旧態依然とした対応が災いして、

有効な手立てを講ずることが出来ない。

 

 

最後の手段は、

 

1.国連安保理による「核兵器による滅殺」

 

2.「ヤシオリ作戦」と名付けられた、

巨大災害対策本部の秘策。

 

の二択に絞られた。

 

 

果たしてどちらが採用されるのか。

日本は未曾有の国難に、

どう対処するのか。

 

 

これで、「シン・ゴジラ」は、

理解できたことになる。

 

 

 

ところが。

 

 

 

「この世界の片隅に」に関しては、

このような説明は不能である。

 

 

そもそも、「史実」というか、

原作自体が、

戦時中を生きていた人々の、

日記だとかをもとに、

再構成したつくりになっている。

 

 

だから、

「脚本的などんでん返し」だとか、

そういうところで勝負していない。

 

 

ドラマ「坂本龍馬」のオチは、

第一回からみんな知ってる。

 

 

彼は、京都で暗殺されるのだ。

 

 

それと同じで、

「この世界の片隅に」も、

「オチ」は分かっている。

 

 

広島市に原爆が落ち、

日本は、戦争に負けるのだ。

 

 

では、

なぜこの映画がこんなにも、

人のこころを揺さぶるのか。

 

 

クラウドファンディングで、

お金が集まりすぎるほど、

人はこの作品を応援したいと思うのか。

 

 

それは、意外なんだけど、

この映画が、

「反戦映画」ではないからだろう。

 

 

ぼくはそう読んでいる。

 

 

イデオロギッシュな「反戦」は、

この映画には登場しない。

 

 

むしろ、

主人公たちは、

「頑張って」戦争している。

 

 

戦地に赴かなかった日本国民もまた、

戦っていたのだ、ということがよく分かる。

 

 

呉は軍港だったので、

ある人は毎朝出勤して、

港で戦艦を作ることで。

 

 

またある人は、

その工員のためにご飯を炊き、

お風呂を入れることで。

 

 

またある人は、

戦地から一時的に帰ってきた兵士を、

自分の家に泊めることで。

 

 

人々は戦っていた。

 

 

戦場に行って銃声を聞くことだけが戦いではない。

 

 

空襲警報のたびに

防空壕に逃げ込んで息を潜めることも、

また戦いだ。

 

 

すべてを戦争のために使い切るので、

食料と物資が圧倒的に不足しているので、

山菜を工夫して料理したり、

少ない米でなるべくたくさん食べたように、

感じるような調理法を開発したり、

魚の骨一本も無駄にしない生活をすること。

 

 

これもまた戦いだ。

 

 

戦地に行かない人もまた、

空襲や爆撃によって、

手足を失ったり、

あるいは命を失ったりした。

 

 

 

8月6日

「新型爆弾」が、

広島に落とされた。

 

 

この映画で改めて知ったのは、

じつは広島市というのは、

戦時中、ものごーく、

安全な場所だったと言うことだ。

 

 

軍港がある呉は、

敵のターゲットとなるので、

非常に危険だった。

 

 

だからそれに耐えられなくなって、

比較的安全な広島に、

逃げるように引っ越す人が、

数多くいた。

 

 

主人公の「すず」も、

もう耐えられない、

と、広島に引っ越そうとしていた。

 

 

その矢先、

原爆が落とされた。

 

 

街は「消えてなくなった。」

 

 

その何日か後に、

長崎にも新型爆弾が落とされたという、

「うわさ」が拡がる。

 

 

そして、15日に、

ラジオから

「玉音放送」が流れる。

 

 

天皇が、

「日本は降伏します」と、

宣言した放送だ。

 

 

 

正座をして、

すずと家族は、

その玉音放送を聞く。

 

 

 

そのシーンで、

ぼくは、泣いた。

 

 

 

映画館なのに。

 

 

 

涙が出た。

 

 

 

それは今までに感じたことのない、

「玉音放送」の、再解釈だった。

 

 

 

先の戦争の議論というのがどうして、

日本で紛糾するのか。

 

 

 

東郷和彦という、

元外交官で、

おじいさんも戦時中に外交官をしていて、

戦後は戦犯となり、獄中死したという、

そういう人がいます。

 

 

 

この人は、

日本には二種類の人がいる、

と言っている。

 

 

つまり、

戦時中に「国家」の側にいた人と、

「国民」の側にいた人だ。

 

 

「国家の側」にいた人は、

赤紙一枚で日本国民を徴兵し、

「日本を守った」。

 

 

しかしこの「日本」というのは、

じつは国土や国民の命ではなく、

「オレたち官僚」という、

「エスタブリッシュメント」だった。

 

 

それに「國體」(こくたい、と読みます)

という名前をつけて神格化し、

その宗教を国民にも拝ませた。

 

 

「国民の側」にいた人は逆に、

国家から命を徴用され、

そして多くが、

その命を失った。

 

 

統計によれば300万人が死んだ。

 

 

、、、ということは、

徴用した「国家」は加害者で、

国民の側は被害者だ。

 

 

じっさい、多くの日本国民が、

こういう意識を持っていた。

 

 

つまり、

「国家という暴力装置」が瓦解し、

日本がアメリカに降伏したことは、

国民の側からすると、

「良かった」ことなのだ、

という意識が、

多くの国民にはある。

 

 

ぼくもまた、

おじいちゃんが戦地で死にかけているので、

「日本国家という暴力装置」のほうが、

いざとなったら、外敵よりもよほど怖い、

という風に、直観的に感じている。

 

 

なので、その暴力装置をおさえておく、

「憲法」というものを、

とても大切だと思っている。

 

 

これがないと、

国家から自分を守れないからね。

 

 

国民の側からではなく、

エスタブリッシュメントの側から、

「憲法を改正しましょうか」と言い始める。

それも、「国家権力への縛りを弱くしたい」

という。

 

 

これは、

囚人が獄中から、

「刑法を改正しましょう」

と言っているのに近い。

 

 

それも刑期を短くするほうに。

 

 

しかも今の日本では、

それによってリスクに晒される国民の、

かなりの数がその改正に喝采を送る。

 

 

これが倒錯でなくてなんだろう。

 

 

喝采を送っている人で、

改憲案を読んだことのある人に、

ぼくはあまり出会ったことがないのだけど。

 

 

ぼくは憲法は硬性であるべきだと思ってるけど、

憲法無謬論者ではないので、

改正はあってしかるべきだと思う。

 

 

ただ、為政者の側からの「憲法改正案」を、

それを読みもせずに喝采するというのは、

あまりに印象操作に踊らされている感じがして、

とても気持ちが悪い。

 

 

あ、話がそれた。

 

 

、、、で、

東郷和彦さんは、

自分はどちらかというと、

おじいちゃんが「国家」の側にいたし、

自分自身も外務省の人間なので、

「暴力装置側」にいることを知っている。

 

 

それを認めた上で、

やはり戦前には、

マスコミ始め、

国民もまた、

「戦争によって危機を打開する」

という世論を形成し、

時の政府を「押し切った」ようなところがある。

 

 

だからどちらも被害者であり加害者なのだよ。

まぁ、自分は自分の立場を割り引いて考えなきゃいけない、

ということは言うまでもないんだけど、、。

 

 

 

という話をしていた。

 

 

 

ぼくはこれを読んで、

あぁ、この人は、「まともな人」だなぁ、

と思った。

 

 

こういう人が国家側にいるなら、

国家のために戦う、

ということも、

あながち虚しくはないなぁ、

と思った。

 

 

 

、、、

 

 

「この世界の片隅に」の玉音放送は、

ぼくの従来の、

「玉音放送のイメージ」を、

打ち砕いた。

 

 

NHKスペシャルだとか、

歴史映画だとか、

いろんな機会に、

これまで何度も、

玉音放送を聞いてきた。

 

 

「たえがたきをたえ、

 しのびがたきをしのび、」

 

のくだりとかは、

暗唱できるほどに。

 

 

で、この放送は、

ぼくにとっては、

敗戦の悔しさを受け入れる放送ではなかった。

 

 

むしろ、

「日本国民が、

 大日本帝国政府から解放された、

 記念すべき嬉しい放送」

だった。

 

 

 

しかし、

この映画中の玉音放送は違った。

 

 

ぼくは泣いた。

 

 

それは、悔しかったからだ。

 

 

初めて、

玉音放送を聞いて、

悔しい、と思った。

 

 

なぜか。

 

 

もちろん、

主人公のすずを始めとし、

国民は「被害者」でもある。

 

 

すずたちもそう思ってる節もある。

特に「憲兵を馬鹿にするシーン」とかに、

それはよく現れている。

 

 

強い者におもねり、

「国家の犬」

となって市民をいじめる、

ひどいやつらだ。

 

 

確かにそうだ。

 

 

あぁ、戦争が終わってよかった。

 

 

これで空襲警報におびえずに済む。

 

 

、、、

 

 

、、、

 

 

、、、でも、

それだけではない。

 

 

それだけではないんだ。

 

 

ということが、

この映画で分かった。

 

 

多分、戦時中を生きた人からは、

「何をいまさら」

と言われるのだろうが、

ぼくには欠けた視点だった。

 

 

そう。

 

 

市民もやはり、

戦っていたのだ。

 

 

だから、負けたら、

当然、悔しいのだ。

 

 

どんだけバカバカしい戦いだろうが、

どんだけ勝ち目がなかろうが、

それでも、日本国民であるということは、

同じ運命共同体の一員なのであり、

だから、やはり、悔しいのだ。

 

 

そんな当たり前のことに、

今更、気づいた。

 

 

終戦の日、

だから多くの日本人は、

様々な感情が交錯した、

表現できない気持ちを味わったのだ。

 

 

 

くやしくもあり、

ほっとしたようでもあり。

 

 

虚しくもあり、

哀しくもあり。

 

 

 

、、、だから、

「戦争体験」は、

なかなか、うまく語れないのだ。

 

 

自分が当事者でも、

きっとうまく語れない。

 

 

自分の子どもにすら、ついに、

うまくその感情を伝えることが出来ずに、

死んでいくかも知れない。

 

 

「この世界の片隅に」は、

戦争中の市井の生活者と、

自分を同一化させるということを、

アニメーションの高度なギミックによって、

擬似的に感じさせてくれる。

 

 

この映画を観ると、

「センソウハンタイ」というモノローグの、

薄っぺらさも分かる。

 

 

同時に、

「隣国に一発ぶちかましてやれ」

という言葉のばかばかしさも分かる。

 

 

問題はイデオロギーではないのだ。

 

 

「イデオロギーに過ぎないもの」が、

イデオロギー(人の脳の働き)を支える、

土台となる生活や身体や風景や感情、

そういったものを破壊してしまう、

というバカバカしさこそが、

きっと先の戦争が遺した、

もっとも大きな遺産だったのではないだろうか。

 

 

 

「この世界の片隅に」のオープニングで、

タテタカコさんが歌う、

ザ・フォーク・クルセイダーズの、

「悲しくてやりきれない」が流れる。

 

 

 

悲しくて悲しくて

 

とてもやりきれない

 

このやるせないモヤモヤを

 

だれかに告げようか

 

 

、、、というこの歌詞は、

敗戦の虚脱感と、

見事にマッチしている。

 

 

 

あんなに必死に戦ったのに、

なんだったんだ!!

 

 

勝つんじゃなかったのかよ!!

 

 

嘘だってうすうす気づいてたけど、

日本軍は勝ってるんじゃなかったのかよ!!

 

 

信じるふりして付き合わせた時間を返せよ!!

やるなら最期までやれよ!!

 

 

という慟哭を、

主人公の「すず」は最後に代弁する。

あそこにある種の「カタルシス」がある。

 

 

家族にさんざん迷惑をかけた

親父のビジネスが、

ついに倒産した。

 

 

「めちゃくちゃ儲かってる」

と妻子にはうそぶいていたが、

経営が苦しいのは、

みんな薄々気付いていた。

 

 

親父には本当に腹が立つが、

親父はやはり親父なのだ。

 

 

倒産したら、やはり悔しいのだ。

 

 

悲しいのだ。

 

 

単なる被害者ではない。

俺たちだって当事者だ。

親父と同じ夢を見て、

協力してきたのだ。

 

 

、、、という息子や娘の気持ちにも、

似ていたかも知れない。

 

 

 

 

「国破れて山河あり」

 

と昔の人はいった。

 

 

 

きっと、

善悪だとかイデオロギーを超えた、

「戦争の底知れぬ虚しさ」

を、昔の人は知っていたのだ。

 

 

しかし、

今度日本が総力戦をしたら、

もう「山河」すらも、

残らないかもしれない。

 

 

先の東郷和彦さんは、

クラウゼビッツの戦争論をひいて、

「戦争とは外交の失敗の果てにある」

と言っている。

 

 

 

どうか外務省のみなさん、

頑張ってください。

 

 

 

今はかなり難しい時代ですが、

万策を尽くし、

「自らの政治的立場や官僚機構」ではなく、

日本の国土と生活を守って欲しい。

 

 

 

そんなことを思いながら、

映画館を後にした。

 

 

 

、、もう一ヶ月も前のことなのだけど、

急に書きたくなったので書いてみました。

 

 

長文を読んでくださり、

お疲れ様でした。

 

 

どうか風邪など引かぬよう、

お身体に気をつけてお過ごしください。

 

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