ヤルマール・セーデルべリィ(古城健志訳)(2006)『医師グラスの殺意』、コスモヒルズ | Finn, again! Take.

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 ヤルマール・セーデルベリィ(Hjalmar Söderberg 1869-1924)はストリンドベリと並ぶスウェーデンのモダニズムを代表する小説家だ。日本ではあまり知名度は高くない。それはおそらくモダニズム作品があまり一般うけするものではないということもあるけれど、最大の難点は良い翻訳がないせいだろう。セーデルベリィの作品もこの代表作と小品集しか翻訳はない。
 物語は日記体で語られる。終始、主人公ドクター・グラスの六月から十月までの日記が開陳される。グラスは頭の切れる優秀な医者だけれど、人格的にはあまり普通とは言えないように見える。しかし、彼の苦悩は特異であるけれどリアルで生々しい。愛する人を助けるためにある人を殺しても良いものか。これがこの物語の中心にある苦悩だ。これを中心にして彼の想念は広がり滞る。陰鬱な思念のせいで読者としてはあまり心地が良いとは言えない。しかし、題名『医師グラスの殺意』が常に脳裏を過ぎり、誰に対しての殺意なのか、そして、殺人は実際に起こるのか、さらに、起こったとしてグラスの、また、他の人々の運命はどうなっていくのか、ということが気になって、このグラスの淡々とした日記を、時に妄言のような日記を、読者は読み進めざるを得ない。モダニズム作品らしく、大きな山場や派手なプロット展開は見られないけれど、ありふれた日常が一人の個人の目から見ることによって異なった色合いを帯びる。グラスの青年期の夏至の夜の思い出や殺人を暗示する夢の提示はグラスの複雑な心情を伝えるもののなかでも非常に印象的でその情景がありありと目に焼き付いてしまう。
 物語自体はこのようになかなか読みごたえのあるものだけれど、個人的にはそんなに好きではない。しかし、もし私がスウェーデン語ができて原文で読むことができたならば、事は幾分違っていたはずだ。なんといっても、この翻訳は翻訳の風上にも置けない。序文で訳者が自らの能力の低さからくる誤訳についてあらかじめ詫びているし、そもそも工学部の卒業で、北欧語が難しいということを考慮しても、これは頂けない。悪い意味で原文が透ける文章、つまり、自然な日本語に移し替えれていない。明らかな助詞の間違いにより文の意味がわからないものも多数ある。誤字脱字はもちろんのこと、日本語として意味が全く通っていない文がちらほらあるのはいかがなものだろう。訳者の未熟さと言うより、注意力や作品への思い入れの弱さが窺われる。スウェーデンでのセーデルべリの愛好会参加しているようだけれど、この翻訳を見ているとそんな自分に悦に行っているようにしか思えないほどだ。そもそもここまでセンスのない翻訳は見たことがない。中学生の英文和訳の方がよっぽどましだ。優秀は翻訳家がこの作品の新訳を出してくれることを切に願う。

(2015. 4. 18 読破)

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