12月の頭に内定先のESの提出がありました。
一発目のESが志望度の高い企業で、かつ予想外の早期の提出でしたが、OB訪問を事前に行っていたので、落ち着いて取り組めました。
幸い研究室のOB・OGがたくさん内定先に行かれておられたので、何度も添削していただき、内容に自信を持って出すことができました。
提出後のキュッカでは、ESを酷評されましたが、通過することができました。
12月下旬のキュッカは自分のターニングポイントとなりました。
参加者は自分一人、5時間という長い時間でした。
会の中で模擬面接をビデオに撮って自分で見る、ということをやりました。
対象企業は内定先の企業でした。
その内容はひどいもので、人生で一番マイナスのコメントをいただきました。
特に「入りたい意志が感じられない」「君は何も考えていない」というコメントは堪えました。
実際、ビデオで見た自分は想像以上に暗く、自信がなさげに見え、自分が面接官なら間違いなく落とすと思いました。
自信をつけるために、想定問答を100個作る、という宿題を出されました。
その日以来、意識が変わりました。
研究がひと段落したこともあり、年末年始は徹底的に自己分析をし、想定問答集を作りました。
実際には質問は4,50個しか作れませんでしたが、とことん考え抜くことで、自分の中で確固たる自信が芽生えました。
1月中旬に内定先の面接がありました。
初めての面接でしたが、落ち着いて言いたいことをしっかりと自信を持って伝えることができたと思います。
年末のキュッカ以来の面接でしたが、見違えるほど良くなっていたのだと思います。
この選考でかなり絞られており、進路決定の上で最も重要な面接となりました。
年末の模擬面接がなければ間違いなく受かっていませんでした。
この面接を受けたころからは自信がかなりついてきました。
自分のやりたいことも明確になり、自分の軸を元に企業を回れるようになりました。
業界ではなく、やりたいことを元に企業を選んだため、多くの業界から数社ずつ受ける結果となりましたが、自分の軸をしっかりと面接で伝えることで逆に説得力が出たと思います。
結局、内定先の業界は内定先の一社しか受けませんでした。
内定先以外の会社の面接も無難にこなすことができました。
拘束力の働く学校推薦企業でいい返事をいただけた企業もあり多少迷うこともありましたが、自己分析の結果を信じ、内定先の選考に進むためお断りしました。
大きな地震もあり、採用スケジュールが大きく乱れましたが、取り乱さず、空いた時間を使ってさらに自己分析を進めました。
この時点でのキュッカでは、就職活動終盤の駆け引きについていろいろとアドバイスをいただきました。
他の就活生の模擬面接を通して、自分の面接のイメトレを行っていました。
年明けのキュッカからは自ら発言する回数が増えたように思います。
自分でも漠然と自らの成長を感じました。
4月頭に内定先以外の会社から内々定をいただきました。
自らの身の振りに困り、精神的に不安定になりましたが、かつゆきさんに電話で何度かご相談にのっていただきました。
4月下旬に現内々定先から内々定をいただき、就職活動を終了しました。
私の勝因を上げるとすれば、始めにも書いたように徹底的な自己分析・企業研究を通じて自信を得られたからですが、その過程で人の意見を素直に受け入れられたことが良かったと思います。
採用活動は、大学までの試験のように○か×を機械的に判断するのではなく、面接官という「人」に判断されます。
となると、客観的に自分を理解する必要があります。
そのためには他人に意見を仰がねばなりません。
私の場合はキュッカで知り合った社会人の方々でしたが、親や親友、先生でもいいので包み隠さず良いところ悪いところを言ってくれる人を見つけ、その意見をしっかり聞くことが大事だと思います。
長文になりましたが、以上で私の体験記を終わりとさせていただきます。
徹夜で書いたため、読みにくい文章かもしれませんが、これが今から就職活動を始める人の助けとなれば幸いです。
かつゆきさんをはじめ、キュッカや就職活動を通じてお世話になったすべての方々のおかげで今の私があると思います。
ありがとうございました。
そして、ここまで不自由なく生活させてくれた両親にも感謝します。
ありがとうございました。
(Oさん・慶應大院理工・建設業界内定)
ぜひ立派な社会人になって、
日本を元気にしてほしいものです。
厳しいことを言われても、立ち向かって乗り越え、
それをさらに自らの自信に変えていくその姿勢には、
大いに私も励まされました。
そして何よりも、どんなに厳しいことを言われても、
可能な限り毎回就活キュッカに参加していたのは
さすがでした。
就活中のノートは8冊にもなり、
メモや示唆を受けた言葉を書きとめ、
しっかり頭にたたきこんでいました。
Oさんは、もともと努力家であったと思います。
渡辺コメント: