2025/01/12

十善戒

①不殺生

 

 

「苦」の人生をいかに生きるか。

「仏陀(ブッダ)は確かに「この世は苦である」といいましたが、亡くなる前には「この世は美しい。人間の命は甘美なものだ。」といっていました。

これは「苦であるがゆえに、そこに美しいものが生まれてくる」という仏陀(ブッダ)のひとつの悟りであったように思われます。

涅槃へ至る八つの道筋を指し示した「八正道」煩悩を消して真実の人生を生きるための方法ということから出てきたのが、先にふれた四諦であり、また八正道といった考え方です。

仏陀(ブッダ)の亡くなったあと、原始仏教が大乗仏教から生まれた六波羅蜜という考え方も含めていいでしょう。

在家信者が守るべきものとされた五戒などもそうでしょう。

五戒とは

  • 不殺生戒(ふせっしょうかい) 生き物をみだりに殺してはならない。
  • 不偸盗戒(ふちゅうとうかい) 盗みを犯してはならない。
  • 不邪淫戒(ふじゃいんかい) 道ならぬ邪淫を犯してはならない。
  • 不妄語戒(ふもうごかい) 嘘をついてはならない。
  • 不飲酒戒(ふおんじゅかい) 酒を飲んではならない。

の五つですが、これらを生活の中で習慣化して実践することが大事だという具体的な戒律です。

また仏陀(ブッダ)は精神を統一して雑念を払い、禅定の境地に入ることを説き、さらに日常生活の中で身につけていく智慧の重要性を説いています

この戒律と精神統一と智慧を仏教では「戒・定・慧の三学」と呼んでいるようですが、修行によってこの三つを身につけることで人間は「諸々の汚れから完全に解脱する」ということになります。

 

参考

この五戒律に次の五つの戒律が加わったものを十戒律と呼んでいます。

 

十戒律(五戒律も含みます)

  • 不説四衆過罪(ふせつししゅうかざい) 他人の過ちや罪を言いふらしてはならない。
  • 不自賛毀他戒(ふじさんきたかい) 自分を誉め、他人をくだしてはならない。
  • 不慳貪戒(ふけんどんかい) 物おしみしてはならない。
  • 不瞋(怒り)恚戒(ふしんにかい) 怒ってはならない。
  • 不謗三宝戒(ふぼうさんぼうかい) 仏様の教えや仏法伝道の僧をくだしてはならない。

このように、正しい生活をして自分自身の完成に努めなければ、本当に人を救うことはできないということです。

 

ただ、誤解してならないことは、自分はまだ完成していない人間だからとても人を助け導くことはできない、という考えを持たないことです。

 

自分だけの生活に囚われてしまえば、返って自己の完成はできないのです。

 

人のために尽くすということも持戒の大きな要点ですね。

人のために尽くすことによってそれだけ自分も向上し、自分が向上することによってそれだけ人にも尽くせるようになる、この二つは無限に循環していくと思います」

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十善戒が登場した。

ここでは僕の極私的経験から抜粋し、

十善戒を考えたいと思う。

一つ一つ実例を出し、

そして懺悔し、

こんな男もいるのだなと参考にして欲しい。

今は一分一寸の隙も無い十善戒の男だ。

毎日この戒めを唱えて、

僅かな破戒にも眼を尖らしている。

 

  • 不殺生戒(ふせっしょうかい) 生き物をみだりに殺してはならない。

 

人間に関して言うなら、

僕は殺生をした身に覚えが無い。

多分そうだと思うのだが、

あれ程某国の7000万国民に恨まれ、

あれ程某国の王様の怒りを買い、

臨刑欲寿終の日々であることから、

不明の学生時代にもしかしたら、

誰かを殺生しているのかもしれない。

或いは僕が為に、

命を落とした人があるのかも知れない。

それだけが気掛かりだ。

そうだとしたら、

「あなたはこんな事をしたのだ。」と、

言ってくれても良いと思うのだが、

カミングアウトから本日まで何もない。

 

ただし、

動物の殺生、

虫の殺生なら、

生物の殺生なら、

その罪たるや枚挙に遑が無い。

動物の筆頭は鳥である。

動物の筆頭は鶏である。

続いて、

牛、

豚、

羊、

魚、

であろうか?

これらについては、

今も食べているのだが、

今は食べる度に知足安分の思いで食べている。

昔の僕と言えば、

知足安分どころか、

血肉粉団

油脂混舌

僅かなる功徳と言えば、

全て綺麗に食べる事であったが、

あの凄まじい食欲と、

アルコールの添加に於いては、

全く弁護の余地が無い。

 

虫については、

人並みに嫌いではないかと思うのだが、

それでも憎しみを込めて、、

丸めた新聞紙で叩いたり、

高性能の殺虫剤を買う事に執着したり、

ハエ取り紙やバルサンを使ったりと、

逆に言えば虫については、

その生命の存在に徹頭徹尾潔癖であった。

今は目に入る動く生物に関しては、

見ない様にしている。

 

雨法院の勤行法則に従って、

月に2回の1日と16日だけ、

酒肉魚を絶っている。

酒は元より普段は飲んでいない。

とは言え、

殺生を断つと言っても、

一見野菜とは言っても、

一見豆とは言っても、

一見穀物とは言っても、

調味料に生き物の骨粉が、

入っているのはどうしようもない。

あくまでも見かけの精進になるが、

原材料に直接接する事が出来ない現代において、

これが限界かと思う。

最初施設の看護婦さんに、

いっそのこと断食をすると言って、

問題になり、物議を醸し、

最低限のご飯、味噌汁、お茶が、

保証された精進である。

 

僕は今、

不殺生精進に幸せすら感じる。

かつての食生活を、

懐かしくも、

恋しくも感じるが、

あの無明の過ちがあったから、

今の幸せを実感出来ると感じる。

人が施設の食事を不味いと言えば、

以前の僕なら昔はとんでもない贅沢な生活を、

食して来たのだと言う思いを胸中に忍ばせ、

心の中でほくそ笑んでいたものだが、

そうではなく、

今の実感を大事に出来る自分がいる。

彼らは斯様にして僕等の為に食され、

彼らは斯様にして僕等の為に輪廻転生した、

と言う確認の1日。

だからこその戒めである。

 

合掌

 

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