「幸せ」という名の不幸の呪文 | OWNDAYSの社長のブログ

「幸せ」という名の不幸の呪文

 

人はよく「幸せ」という言葉を使う。

もう常に何かある度に「幸せ、幸せ」とみんなが口を揃えて言う。

 

でも、ぼくは「幸せ」という言葉は使わない。

なぜなら幸せという言葉を使うと、なんだかかえって不幸が増えていくような気がするからだ。

 

そう。ぼくに言わせれば「幸せ」という言葉は、まるで「不幸の呪文」なのだ。

 

たとえば結婚式。

新郎は「僕は◯◯さんを幸せにします」と宣言し

新婦の友人は「◯◯ちゃんを幸せにしてあげてください」と新郎に期待をよせる。

新婦は「お父さんとお母さんの子供で幸せでした」と感謝の気持ちを述べる。

最初から最後まで幸せという言葉のオンパレードだ。

 

でも、ちょっと冷静に考えてみてほしい。

「幸せと感じるかどうか?」は結局、その相手の感じ方次第ではないのか?

 

こちらが「幸せにしたい」と思って

どれだけ頑張ってみたとしても

その行為によって

実際に相手が幸せを感じれるかどうかは

受け取り手の気分次第じゃないのか?

 

それこそ、幸せな結婚式に水を差すようで悪いが

ぼくがそんな

「幸せ」という言葉に違和感を感じ

ひねくれた考え方をするようになった

キッカケについてお話ししたい。

 

  

ぼくは今まで人の何百倍も努力をして

お金を人一倍稼ぎ

その甲斐あって

奥さんや子供たちに

平均的な家庭よりも

割といい暮らしをさせて

あげられるようになった。

 

ぼくは

経済的な心配を何一つしないで暮らせていれば

家族はみんな幸せに暮らしてくれてるだろうと

そうずっと信じていた。

 

だってそうじゃないか。

世の中では毎日のように貧困が問題になっている。

テレビを付ければ消費税が2%上がったと

みんな不満を叫んでいる。

 

みんなお金を気にしながら暮らしている。

 

買いたいものが自由に買えない不幸を

いつだって嘆いているじゃないか。

 

だったらお金の心配をしないで

欲しいものがなんでも自由に手に入る生活の方が

幸せに決まってるじゃないか!

 

ぼくはそう信じて、ずっと努力をしてきた。

 

でも、いざその生活を手に入れてみたところで

奥さんも子供も

あまり幸せそうにしてくれていなかった。

 

家族はぼくが仕事、仕事でほとんど家に帰らず

広い家にポツンと待っている時間は

とても寂しくて全然幸せじゃなかったのだ。

 

ある日、息子が小学校にあがったばかりの頃

彼がぼくにボソっと言った言葉がぼくの目を覚ましてくれた。

 

「ゲームやおもちゃをたくさん買ってくれるのは嬉しいけど

運動会や習い事の発表会に自分だけお父さんが見に来てくれていないのが一番寂しい。

それならゲームなんて要らないし広い家もいらないから運動会にきて欲しい。

友達のお父さんのように一緒にキャンプに連れて行ってほしい」

 

彼はとても悲しそうな顔をしてそう呟いた。

 

 

それこそ、ぼくは家族を「幸せにしよう」として頑張り続けてきた。

経済的に不自由な暮らしをさせないことが

もっとも大事な家族の「幸せ」だろうと信じてきた。

 

でも、その気持ちも受け取った側からすれば

「おまえの幸せの基準を押し付けんな」ということだったのだ。

 

こんな広い家になんて住まなくて良いし

高級なレストランの食事よりも

家族が毎日揃って、お母さんの作った料理を笑いながら皆んなでつつける時間こそ

ぼくの家族が一番欲しかったものだったのだ。

 

これは会社の経営でも同じだった。

 

みんなでひたすらに働いて、会社を大きくし

ライバル企業を打ち負かし

給料を増やしてあげることが

社員みんなの幸せに繋がることだとずっと思ってきた。

 

それが社員たちにとって一番大事な幸せな会社の在り方だと。 

 

でもそうではなかった。

仕事をしていく上で何を「幸せ」と感じるかは

100人いれば100通りのカタチがあるのだ。

 

それだけじゃない。

何で幸せを感じることができるかは

その人の人生の時期、成長のステージによっても

コロコロと常に変化するものだったのだ。

 

 

例えば、子どもがまだ小さければ

目先のお金が多少増えることよりも

決まった時間に家に帰れ

子どもと過ごす時間をしっかりととれる方が幸せな人もいる。

 

でもその人だって

子どもが大きくなり進学して

学費が沢山かかるようになると

もっと収入を増やす必要が出てくる。

 

そうなってくると

 

「休日なんて要らないし

残業だってバンバンするから

子どもの為にもっと稼がせてくれ!」

 

と思うかもしれない。

 

若いエンジニアは給料よりも

新しい知識を沢山学べて

スキルをもっと身に付けたいと思ってる人もいる。

 

デザイナーなら表現の幅や感性を伸ばせる体験が欲しい人もいる。

 

ただやみくもに働いてお金だけを増やせば

皆が幸せになれるわけじゃない。

そんな簡単なことに気づかないなんて

なんてぼくはバカだったんだ!

 

 

そもそも「幸せ」という言葉は

「状態」を表す言葉ではなくて

瞬間瞬間に感じる「感情」なのだ。

 

 

「◯◯さんを幸せにしたい」というのは

そもそも日本語の使い方が間違っている。

 

24時間、365日

幸せな状態がずっと続くような状態なんて

それこそいけないクスリでもやって

トランス状態にでもなってないと保てやしない。

 

だってそうだろう?

 

「おいしいご飯を食べた。おいしい。幸せ……」

 

この幸せという感情を感じる為には

その前に「お腹が減った」という

苦痛がないと感じることはできない。

 

空腹は最高のスパイスだ。

反対に、お腹がいっぱいで

もう何にも入らないという時なら

三つ星シェフの最高の料理だって

食べたいとすら思わない。

 

砂漠で遭難して死にかけた人がいるとする。

その後、九死に一生を得て助けられた時に飲んだ1杯の水は

世界中のどんな有名シェフが作る料理よりも

美味しく幸せを感じれることだろう。

 

「死にかけた」という不幸のあとでは

コップ1杯の水を飲めただけで

何ものにも代えがたい「幸せ」を感じることができるのだ。

 

さらに、幸せというのは

「相対的」なものでより感じやすくなるという

厄介な側面を持つ。

 

これこそが、ぼくが

「幸せは不幸の呪文だ」

と言い続ける由縁なのだが

 

「幸せ」という感覚は

人と比較したときによりハッキリと感じやすいのだ。

 

たとえば、オンデーズで働くで全社員の年収を

明日から一律1千万円にしたらどうなるだろうか?

 

メガネ屋の店員として働くには

すでに十分な給料だから

みんな幸せになってもよさそうなものだが

それでもおそらく不満は変わらずに出てくるだろう。

 

「アイツより俺のほうが頑張っているんだから、あいつと同じではおかしい」

 

「あの人が1000万なら、私は1500万はもらわないとイヤだ」そんな感じで。

 

一方で、みんなの給料が700万でも

さらに下の500万の人たちがいると

700万の人は幸せを感じたりする。

 

「俺は彼らよりはもらってるな」

と思い優越感を感じるかもしれない。

 

勘違いしないで頂きたいのだが

「だから給料がいくらになっても幸せになれるわけじゃないから

安い給料でも満足しろ!」

などと言いたいわけではない。

 

ぼくが伝えたいのは

幸せや不幸せという「感情」は

すぐ隣にいる誰かと比べたときに

強く感じやすいというのが

間違いのない事実であるということだ。

 

病気をして体を壊したりたり

交通事故にあって大怪我をした人をみると

「自分は健康でいられるだけ良かったな」

と幸せを感じる。

「生きててよかった」と思える。

 

他人の不幸を目にした時も幸せを感じる。

 

テレビなんかで、貧困に苦しむ人や病気や怪我に苦しむ人の話題を目にすると

みんな自分の置かれた環境に幸せを感じたりする。

「この人は大変だな。それに比べたら、自分は幸せだな」というぐあいに。

 

政治家や有名人が、何か失敗をして

袋だたきにあったりしているところを見る。

 

すると

 

「政治家もああなっちゃおしまいよね」

 

「自分は大した人生じゃないけど

みんなからあんな風に叩かれるよりはマシだよね」

 

「やっぱり普通が一番よ」

 

などと言って、幸せを感じようとする。

 

でも、そんな事で幸せをいくら感じたって

自分の人生は何一つ明るくはならない。

 

しかも、この考え方の性質が悪いのは

そのうち、自分の人生にやり場のない憤りや不満を抱えている人は

常に自分よりも悪い境遇の誰かの不幸を探し回るようになる。

 

その考え方が更に加熱すると

今度は自分の幸せを実感する為に

逆に他人を不幸にしようとしてしまう人すらいる。

 

ネットで顔も出さず名前も名乗らずに安全圏から

誰かを罵り、クソリプを繰りかえすような人たちなんて、その典型だろう。

 

そういう人たちは、幸せを実感する為に

無意識のうちにそういう思考回路になってしまうのだろう。

幸せを求めるほど、却ってすごく人間は醜くなっていく。

 

そんな毎日をぼくは過ごしたいと思わないし

そんなことで感じられる幸せなんて自分の人生には何ももたらしてくれない。

 

だから「幸せ」という言葉は

ぼくに言わせれば「不幸の呪文」なのだ。

 

そんな「幸せ」という言葉に秘められた嘘に気付いてから

ぼくは人に対して「あなたを幸せにする」とは言わなくなった。

 

「幸せになるかどうか」はその人一人ひとりの感じ方の問題だから

ぼくにはどうすることもできないのだ。

 

でも、それでは、何を基準にして人生を生きたら良いのだろうか?

「幸せ」と感じるかどうかは、相手次第だということはわかった。

かといって大切な家族や社員たちに「お前のせいで不幸になった」なんて

できれば言われたくもない。

 

「幸せ」ではなく「豊かさ」を基準に考える。

 

そこで辿り着いたのが

人生にとって大切なのは

 

「幸せ」ではなく「豊かさ」

 

であるという考え方だった。

 

幸せを感じれる瞬間は

自分が豊かになった時に訪れることが多い。

 

「豊かさ」は必ずしも誰かを貶めなければ

感じられるものではない。

 

豊かさは相対的な要素が低くても

きちんと実感することができる。

 

豊かさなら、ある程度絶対的なものとしての

基準を持つことができるのだ。

 

ぼくはOWNDAYSの企業理念を

「幸せ」から「豊かさ」に変えることにした。

 

 

「OWNDAYSに関わるひとたちを豊かにする」

というのが今のオンデーズの企業理念だ。

 

 

ぼくは社長として、社員を「幸せ」に

できるかどうかはわからないけれど

社員を「豊か」にはすることはできると思っている。

 

よって

 

「OWNDAYSに入ったのにまったく豊かになれなかった」

 

ということがあれば

社長のぼくのせいにしてもらって構わない。

そう考えるようにした。

 

「幸せ」と「豊かさ」の違いは

誰がいつ見ても客観的に明らかだ。

 

「人生においての豊かさ」とは

なにもお金に限った話だけではない。

 

30万の給料が50万になった。

これは確かに豊かさの一つだ。

 

でもそれ以外にも、新しい知識を学んだ。

新しい技術を習得した。

海外に行ったことがなかったけど

見知らぬ土地にいって新しい体験をした。

新しい友達が増えた。

新しい考え方を学んだ・・・。

 

こういったものも

全部、人生において大切な「豊かさ」だ。

 

そしてお互いに認識が一致する

「客観的」なことでもある。

 

昨日まで自分になかったものが

今日あたらしく増えた状態。

 

お金だけじゃなく

知識や技術に経験、地位や名声

人脈、チャレンジする勇気、行動力…

 

様々なものを自分の人生にプラスして

成長し続けていけること。

 

それら全部が「豊かさ」なのだ。

 

ほとんどの人は

「豊か=金持ちになること」だと思っている。

でもこの発想をしていては逆に貧しくなる。

 

家族にも

「どれだけ豊かにしてあげられるか」

を基準にして毎日を過ごすようにした。

 

お金をあげれば良いのではなく

天気の良い日は子供たちと街に繰り出す。

 

商店街でおもしろい体験をした。

近所のパン屋さんで素敵な出会いをした。

公園で木を見て、虫を捕まえて知識を得た。

山に登り一緒に見たことのない景色を見て感動した。

子どもが乗れなかった自転車に乗れるようになった。

美しい音楽を聴いた。

 

もちろん、そんな毎日を過ごす為には

お金が必要だ。

 

でもお金は

そういう人生の豊かさを手に入れる為に

必要な道具でしかないのだ。

 

だからお金だけがいくらあっても

人は豊かになんてなれやしない。

 

こうしてぼくは

お金による物質的な豊かさだけではなく

「人生の豊かさ」を家族と一緒に沢山追い求めるようになった。

 

すると、結果的に

幸せを感じる場面がたくさん増えて

家族が笑顔になってくれる時間がたくさん増えた。

 

 

あなたも誰かを

「幸せにしよう」

とは考えないで

「豊かにしていこう」

と考えてみるようにしてみてほしい。

 

「奥さんや旦那さんを豊かにしよう!」

「子供たちが豊かな人生をおくれるようにしよう!」

「社員を豊かにしよう!」

「お客さんを豊かにしよう!」

「自分も豊かになろう!」

「じぶんの会社を豊かにしよう」

「社会を豊かにしよう」

 

そう考えると

自分が今やらなければいけないことが見えて

とてもスッキリすると思う。

 

そしたら幸せを感じる瞬間を

たくさん味わうことができ

 

結果として幸せな人生を

おくれるようになるはずだから。

 

 

ここまで読んで

アナタがもし

今の環境で豊かさを実感できないとしたら

OWNDAYSに来てみてはいかがでしょう?

 

幸せにはできないが

ぼくなら多少はあなたを

豊かにすることができると思いますよ。

 

 

採用ページはコチラ。

新卒も中途も外国人もシニアも

いつでも、みんな募集中。

 

https://www.odsaiyou.com

 

 

 

というわけで

OWNDAYSの求人募集の

華麗なるステマでした。

 

ふんがっふっふ。