感謝の気持ちを持つこと。

「ありがとう」を口癖のようにとなえること。

がかって日本でもはやりました。

 

沖縄戦では、「本土防衛の壁」となれとして日本政府・大本営は沖縄県に通達しました。

そして本土では本来なら兵役につけない年齢の少年や少女が、時として兵隊よりも危険な業務に従事させられました。

 

原爆を除けば、沖縄戦の激しさは近代戦の戦闘を遥かに超える激しい戦争でした。

 

終戦後も米軍統治下で非人道的な扱いを多く受けました。

 

本土防衛の壁にされた沖縄に、将来の日本に対し沖縄への配慮あることを海軍の太田実中将は求めましたが、

自民党と公明との示した回答が「辺野古」への米軍基地の新設です。

 

国土を凌辱された沖縄に日本政府も、そしてどの自治体の長も「ありがとう」の言葉をかけた人はいません。

ねぎらいの言葉をかける人は私人だけです。

 

唯一、故小渕総理だけが大田中将の遺書の言葉に堪えようとしましたが、それを良しとしない人たちが日本政府の中には多くいました。

小渕総理は志なかばで亡くなり太田実中将の意志を果たす人がいなくなってしまいました。