YMO教 | あかねとでんでん

あかねとでんでん

CASK遺伝子異常症だったあかねの事と
あかねが大好きだったでんでんの旅の記録です

ぼくがYMOと出会ったのは小学生の時でした。

 

たまたま聞いてたAMラジオの番組内でかかってたテクノポリスかライディーンを聴いたのが最初だったと思います。

 

小さい頃から嫌々ながらもピアノを習わされていたので音楽に接することが多い環境ではあったのですが、初めて聴くシンセサイザーの音色に「これはすごい!」と衝撃を受けた覚えがあります。と同時に音楽ってええやん!みたいな。当時は練習を自発的にすることはなく、ピアノはぼくにとって楽しいものでも面白いものでもなく、音楽そのものもイヤになってたような気がします。

 

そのうちFMラジオは音楽番組が多いようだと言うことで、新聞のラジオ欄でYMOの曲がかかりそうな番組をチェックしカセットテープに録音し始めるようになります。今となっては貴重なライブ音源なんかもあったはずですが、あれはどこにいったかなあ・・・?

 

中学生になるとカシオトーンと言うキーボードを買ってもらいYMOの曲を練習するようになりました。中3の文化祭では同じくYMO好きの友人とみんなの前で演奏しました。曲はコズミック・サーフィンとライディーンでしたねえ。

 

その時のコピー元はこちら

 

 

海外ツアーのライブ音源を中心に構成されているのですが、シンセサイザーの音色がとにかく気持ち良くて未だに一番のお気に入りです。パブリック・プレッシャーは普通のCDと、LP盤っぽい外観のCDが出たのでそれも買いました。LP盤も持ってましたが、CDが主流になった時に全部処分してしまって・・・。

 

久々にシンセサイザーを復活させてみるかと引っ張り出してきた時の動画がこちらなんですが

 

 

バックに流れているのがパブリック・プレッシャーです。シンセの音色もこのアルバムの音色を目標に自分で作りました。

 

このシンセは高校の時にようやく手に入れることができたぼくにとってはお宝のシンセなんですが、YMOがなかったらこのシンセに出会うことはなかったと思います。YMOがなければ需要もないのでローランドも開発してなかったでしょうしねえ。

 

坂本龍一が芸大じゃなかったら、ぼくも芸大に行ってなかったと思います。あ、ぼくは東京じゃないですが・・・(^-^;

 

音楽の道には進むことができませんでしたが、音楽は一生涯のぼくの趣味となりました。

 

自分の人生において、ここまで影響を与えてくれる存在。それはもう宗教と言っても良いんじゃないでしょうか?

 

人生を豊かにしてくれる。

 

悲しい時に癒してくれる。

 

生きる希望を与えてくれる。

 

どこぞの宗教家よりよっぽど存在価値があります。

 

ユキヒロさんはライディーンを作曲した。それだけでもう唯一無二の存在であり、ぼくにとっては神と同じ永遠の存在です。なので悲しむことはありません。ただ、この世という同じステージにはもういないんだなと思うと、とても寂しいですが・・・。

 

たくさんの名曲をありがとうございました。

 

これからも聴きますよ~(^^)/