東福寺の蓮池に咲いた一輪の蓮
今朝は、明け方前から雨が降り出した・・・。
今年の6月に入って、東福寺の坐禅会参禅は、行きは電車と決めたので、今朝も電車で東福寺に向かった・・・。
今朝の坐禅会は、雨にも係わらず40名以上の人が参加し、最近の坐禅ブーム(瞑想ブーム)を実感した。
帰りは、傘をさして歩いて帰ったけど・・・^^;
坐禅会のアトの法話会の今回のテーマは「常楽」で、和尚さんの実体験を含んだハナシは、なかなか興味深い内容だった・・・。
今回のハナシの中では、和尚さんはしきりに「大活現成(だいかつげんじょう)」って~言葉を使われた・・・。
この「大活現成」って~禅語は「大死一番(だいしいちばん) 大活現成」って~形で使われることが多いらしく・・・。
意味は「これまで身に付けてきた、知識や常識や価値観や執着を一切捨て(大死一番)、真に無になった時、湧いてくる智慧に目覚め、全力で物事に当たっていくこと」
って~ことらしい・・・。
ふ~む、なるほど、なるほど・・・( ..)φメモメモ
このハナシの中で、和尚さんは先週の法話会のアトに、東京から来られた中年女性からの「お悩み相談」について、おハナシをされた。
その女性は、最近ステージ4の癌が見つかったそうで、すでにあちこちに転移している、とのことだった・・・。
で、相談内容は「治療に専念するか、治療をやめて、余生を名一杯愉しむかで、悩んでいる」とのことだった・・・。
和尚さんは「仏教者の立場から、どちらかを選択すべきとは言えないが、ひとつ言えるのは、悩むことを止めることだと思います」
「要は、自分でどちらかを選択し、決めたら、それを全力でやり切ることだと思ふ」・・・と応えたのだそうである。
どちららを選択するにしても、覚悟を決めて、全力でやり切れば、後悔は生まれない。
「過去を悔み、将来に憂う」これが、執着による悩みの根本原因であるから、まずは現状を受け入れ、全力をつくすこと・・・って~ことやろ~な~・・・。
言ってしまえば簡単であるが、当人にとってみたら、どんだけ苦しいことやろう・・・って~思うよな~・・・。
そう言えば、先週の法話会で、和尚さんは「生きることに執着するな」って~言うと、よく誤解されて「では、死んでもいいって~ことですか」と、言われることがある、って~おっしゃってた。
僕はその時「では、死んでもいいってことですか?」って~言った当人には「死への執着がある」と思った。
「生」にも「死」にも執着するな、って~ことは、では、どうすればいいのか・・・って~その時思ったんだが・・・。。
今日のおハナシを聞いて「自分が置かれている状況を、まずは素直に受け入れ、自分の生き方を選択し、決めたら、後悔しないように、全力でやり切れ」って~ことやろうかと、思った。
さて、ハナシを無理やり繋ぐ感じやけど、「自分の生き方を選択し」と、書いたが、このことについて、ちょっと思うことがある。
昨日、「福田村事件」って~映画のDVDを観たd(^O^)b
去年アートシアター系で上映された作品で、みゆきは映画館で観たらしい・・・。
観て思ったのは、これはぜって~制作されねばならね~作品だと思った・・・。
「福田村事件」とは、大正12年(1923年)の関東大震災の直後に起きた、香川県の薬の行商団15名のうち、千葉県で9名が虐殺された事件である。
当時、日本支配下の朝鮮半島において、独立の機運が高まっていた背景もあり、体制側が意図時に「朝鮮人が日ごろの恨みから、地震のどさくさにまぎれて、暴行、窃盗、放火を行う可能性がある」
って~デマが、流布された・・・。
その頃、たまたま香川から来ていた売薬の行商団15名が、千葉県の福田村を通過しよ~としてた時、地元の渡船人足と渡し賃の交渉で、ちょっと揉めた・・・。
その様子を観た、村人が「言葉が分からない集団がいて、揉めている」と訴えがあり、村の自警団が武器を手に、200人ほどが集まった・・・・。
「言葉分からない」とは、千葉県民には「讃岐弁」が、意味の分からない言葉に聞こえたようで、日本語がまともにしゃべれないから朝鮮人の疑いがある・・・って~ことのようだ。
で、偶発的な出来事もあり、その集団に対する暴行虐殺が始まったらしい・・・。
そのあたりは、元々ドキュメンタリー方面を得意とする監督(森達也監督)であるから、けっこう史実に則して再現していると思われる。
言葉が分からない(方言)から、日本人が日本人を殺す、って~、まことに、悲惨極まりない事件である・・・。
少数ながら「そんなことは、間違っている」て~抵抗した村人も数人いたようだが、集団ヒステリー状態で、狂気に支配された村人たちの耳には届かない・・・。
考えたら、日本中どこにでもあるような村である・・・。
ひょっとして、これほどの規模の虐殺ではなく、当時、他の地域でも、小規模なこういった殺戮があったのではないか、って~気もする・・・。
「旅人殺し(六部殺し)」は、民俗学の分野では、有名なテーマであるが・・・。
先日読んだ、梨木香歩の「僕は、そして僕たちはどう生きるか」の中でも、この「絶対的大多数の圧倒的な同調圧力の中で、自分が正しいと思う生き方を貫けるか」・・・。
って~のがテーマのひとつだった。
この本の場合は「戦時中の村で、徴兵を逃れて、山の洞穴に隠れ住んだ若者が、一体何を考えていたのか」・・・って~問いに対して・・・。
「彼は毎日、僕は、そして僕たちはどう生きるか、を考え続けていた」って~逸話が出てくる・・・。
これって、普段の日常の中でも「いざとなったら、俺はどうする」って~ことを考えておくべきなんやろう・・・って~思うよね・・・めっちゃ難しいけど・・・。
「自分の生き方を決めたら、覚悟を決めて、それを全力でやり切る」って~ハナシから、ちょっとそれたが、要は禅的な生き方、って~ものはそういうもんなんやろう、って~ハナシね・・・。
さて、ちなみにこの福田村事件の結末であるが・・・。
行商団15人のうち、殺されて川に流された人が9名(胎児も含めれば10名)で、生き残った人が6名。
他方、逮捕された村民は8名で、その後全員が昭和天皇即位の恩赦で、全員が釈放されたらしい・・・。
全国では、朝鮮人とその支持者、左翼の運動家含めて約5000人が殺害されたらしい・・・。
福田村事件では、日本人が日本人を殺したことで、形だけでも8人の逮捕者が出たが、朝鮮人や左翼運動家の殺害事件では、逮捕者は出たのだろうか・・・(-_-;)
*応援ポチ、していただけたら、めっちゃ励みになります!