先週の土曜日、WALD ART STUDIO(ヴァルトアートスタジオ)で行なわれた、

「正方景+長方景+α展」のクロージングパーティーへ行ってきました。

ふと見つけた路地裏のように



ふと見つけた路地裏のように



西日本新聞に紹介記事が掲載。

ふと見つけた路地裏のように




出展された作家さんや、そのご友人の方々、

また、これから出展しようと考えられている方々で会場は賑わいました。

僕も他の作家さんと話すことで色々と刺激を受けました。

新たな出会いもあり、とても実りある時間を過ごせました。








展示会も終了しましたので、早速ですが、

僕の出展作品「The WORLD」をご紹介します。

ふと見つけた路地裏のように



ふと見つけた路地裏のように



ふと見つけた路地裏のように



ふと見つけた路地裏のように



ふと見つけた路地裏のように



ふと見つけた路地裏のように



初めての出展。初めての作品。

作品のテーマとしては、箱の部分が「国境の無い世界」、

その中の部分が「森林の大切さ」を描いた作品なのですが、

僕はこれは意味の後付けに過ぎないと自分で考えています。

何か作品を作らなければ・・・と追い込まれて、

「アート風」な見た目のものを作っただけです。

それを正当化するために都合良く、後から理由を付けたのです。

アートの本質としてのメッセージ性の全く無い作品。

普段、世界平和を望むために、森林の保護を望むために、

僕は何もやってませんし、その説得力はとても薄っぺらいのです。

真剣にアート作品を作られている方たちに対して、

僕は申し訳ない気持ちで一杯です。そして、恥ずかしい思いです。

本来ならば、「メッセージ」が先にあって、

それを表現するための「作品」が後から出来上がるべきであり、

「作品」がとりあえず先に出来たから、これに「メッセージ」を

後から考えて付け加える、なんてことは本末転倒なのです。



その証拠に、友人を始め、これを見た方々の感想は

何もありませんでした。「何も言いようがない」のだと思います。

僕をよく知る方から「津村君らしさが出てない」と言われました。

確かにそうだと思います。

もっと、正直に自分を見つめて、心を裸にしてしまって、

自分を解放しなければ、本当のアートは生まれないのだと思います。

今回の僕の作品は、裸になるのが恥ずかしいから、

あり合わせで適当に服を着て出た、そんな作品だと思いました。

作った当初はそれなりに面白いものが出来たつもりでいましたが、

それはあまりにも薄っぺらいものだとわかりました。






アートを「見る側」から「見せる側」へ立ってみたい、という

憧れのもとに出展に挑戦したわけですが、

今回はその難しさが痛いほどに理解できたので、

そういう部分では挑戦して良かったと思います。

大きな収穫でした。

今は「また、やりたい」とは思えないです。

もしかしたら、強烈な「伝えたいこと」に動かされて、

また作品を作る時が来るかもしれないですが・・・