今日は続きのエピソード。


心が壊れた時のハナシ





新しい職場では毎日が激務でした。





整備主任がちょっと厳しい人でして、

一年後にオープン予定のショップのスタッフとして育てる為に必死だったんでしょうね。



パワハラが凄かったんですよ。



主任から

「おぃ いつまでそんな整備やってんだ!○すぞ!○ね!」



まぁあんまり思い出したくないんでそれ以上書きませんけど、

毎日浴びせられる罵声。




始めのうちは うるせぇお前が○ね。

とか思ってたんですが、




次第に笑顔が作れなくなり、感情が消えて、一人の人間が人形になっていきました。




実際仕事が早いとは言えず、

だって自分の整備ミスが原因で、お客が事故起こしたら嫌でしょ?



前のショップの社長が

整備の工具は、お客様の握るハンドルと同じだと思って握ってくれ。

この時もその思いで工具を握ってました。





ただ新しい職場は儲け第一。

数をこなして利益を増やす。




その考えも否定はしませんが。




車いじりは好きだったけど、商売となると別。

スピードも大事なんです。



それはわかっちゃいたけど、一台一台心を込めて整備やチューニングしてたんです。




働き始めて一年後

人形は初めて朝起きれなくなりました。



手が震えて動けない。



その日はもう自分の感情がどうにかなってしまったようで、実はあんまりよく覚えて無いんです。




気がつくと、夜になり海岸に一人で立ってました。

手には、多分来る途中で買ったんでしょうか?睡眠薬。




私は思わず元研究生で仲の良かったモヒカンN君に電話しました。

ここで出てきたN君です。




サヨナラって


もしかしたら止めて欲しかったのかもしれない。




N君は黙って話を聞いてくれたんです。


最後に


「瞬が死にたいなら俺は止めない。

でもな?俺は大事な友達一人失って生きていかなきゃいけないんだぞ?

わかってんのか?

死んだら楽になんのか?

死んだあともっと辛いことが待ってたらどーする?

死んだら楽になるって誰が言ったんだよ!」




泣きながら言ってくれたN君、必死で止めようとしてくれだんだな。




ハッとしました。

人形から人間に戻って、


そしてYちゃんが亡くなって辛かった事も思い出して、

小さい子供みたいに大泣きしました。




俺 医者行く。





睡眠薬は処分して翌日心療内科に駆け込みました。




診断結果は

抑鬱状態 3ヶ月の自宅療養と



その3か月後にまた期間が伸びて



また伸びて




結局普通に生活できるまでに一年以上かかりましたが、少しやる気が出てきたような気がして、



通院を辞めました。




ショップに退職届を出して新しい人生を始めることにしました。


後日ショップの社長と主任が来て、謝罪してくれました。


私と別に、もう一人3号店のスタッフ候補で働いていた人も同じ扱いを受けていて、

私と同じ状態になって通院〜退職になってたそうです。



私は今はだいぶ神経が図太く(笑)なったので、思い出しても平気にはなりました。




ただ今思うのは、



生きてて良かった。



生きている人は死ぬことはできるけど、


死んだら生きることは出来ない。



今こうして生きていて、

今こうしてブログなんか書いて、

今こうしていろんな方と繋がって。




辛いことがあったのは事実だけど、

肩を貸し合って助け合えるんだなって。




今はそう思います。




これからも瞬はみっともない姿を晒しながらも、元気に生きていくと思います。





私の今までの体験が、だれかに優しく吹く風でありますように。