うつ病を乗り越えて -42ページ目

ダイビングの風景

ダイビングの風景

波照間島でのダイビングの風景です。

珊瑚がきれいでした

イッテンチョウチョウウオが二匹ペアでいますね。

ダイビング講習 その4

1本目

3日目もボートダイビングを行いました。この日はロープなしでの潜降に挑戦しました。昨日まではロープをたぐりながら潜降してしたのですが、この日は自重と肺の空気量を調節して潜降していく練習だったのです。これが相当難しかったです。潜ろう潜ろうとしてもなかなか潜ってくれない。いつまでたっても水面上にプカプカ浮いているのです。BCから空気を抜くのはもちろんのこと、肺から空気をはき出しておかなければ潜降できないのだそうです。2~3メートルしか潜ることができれば、あとは自然に沈んでいくのだそうです。姿勢も大事で、脚を後ろに曲げて腰をしっかり伸ばす姿勢でなければ潜って行くことができない。こればっかりは最終日までなかなかうまくできませんでした。

要は呼吸をきっちり整えてから潜降する必要がある、ということなのだそうです。初心者は、潜る前の器材のセッティングで息を切らしているし、水に入った瞬間の緊張感で呼吸が乱れています。だから、肺の空気量の調整がうまくいかないということらしいです。

水中では、空気切れの際にバディさんからオクトパスで空気をもらって一緒に浮上する方法を練習しました。これは、きちんとハンドサインをお互い理解していないとできないことです。もっとも空気切れという最悪な状況に陥らないように残圧計を規則正しく確認するのが重要なのですが。

それから、この日はほかにも難しいことを訓練しました。BCやボンベなど器材一式を海面ではずしてもう一度装着する練習とか、ウェイトベルトを海面ではずしてもう一度装着する練習です。

見られた魚の方はというと、キンギョハナダイやアカネハナゴイという小さなピンク色の魚を見ることができたし。海中ではツノダシをまた見ることになったし、クルクンというサバの一種の魚群に遭遇したりと、なかなかまたまた癒されるダイビングとなりました。


2本目

2本目は、13メートルまで水深を下げて、中性浮力を調整していく練習を行いました。深度が下がれば下がるほど、水圧の関係でBCの浮力が落ちてくるので、空気を少しずつ追加してあげて中性浮力を保持するというわけです。中性浮力が保たれていれば、空気を吸えば体は浮き始めるし、空気を吐けば体が沈み始めます。このバランスが崩れた時が中性浮力が維持できていない、ということになります。しかも呼吸のタイミングと体の浮沈のタイミングは若干ずれています。中性浮力の調整は経験がなければなかなか難しいなあと思いまいsた。ほんの数本潜っただけでわかるわけはないです。
この日は13メートルまで潜ったと言うことで、水深5メートルでの安全停止というのを行いました。水深のあるところで空気を呼吸した場合、海面で呼吸する場合よりも窒素が多く体内に吸収されることになります。急激に浮上すると、この窒素が急激に血管内に流入し気泡となって、脳や脊髄にダメージを与える場合があるのだそうです。これがいわゆる減圧症という奴です。ですので水深5メートルで3分程度停止し、窒素濃度を慣らしてあげてからゆっくり浮上するのだそうです。


ゆっくり浮上すること

この日、繰り返しインストラクターの方に言われたのは、ゆっくり浮上すること、でした。沈むことより浮かぶ方が危険である、とも言われました。ゆっくり浮上するためには、中性浮力の調整のためにBCに入れていた空気を、浮上するにつれて少しずつ出してあげなければならないのです。水圧が下がればBC内の空気も膨張して、浮力が増してしまうからです。浮上するのにBCの空気を抜くというのも矛盾した感じですが、理由がわかれば、なるほど、という感じでした

今日の予定

今日も一日休息日になりそうです。

早朝覚醒は相変わらずです。午前4時頃から眠っているのか居ないのかよく分からない状態に陥ります。リタリンを飲んでようやく落ち着いている感じです。お医者さんは、リタリンは自分でコントロールできる分には大丈夫、とおっしゃりますが、コントロールできるか不安になります。

また夕方になると、精神的なコントロールがきかなくなるのは目に見えているし。

気分転換にリタリンがきいている間に部屋の片づけでもしようと思います。

(7) 休職してから(2)

七週間目から八週間目

心配をしてくれたのでしょう。学生時代の友人から電話がありました。そのときはとても楽しかったのですが、少々刺激が強すぎたらしく、その晩激しい胃の痛みに襲われ眠れなくなりました。この一週間は普通の食事をとることができませんでした。先生から胃の薬をいただいてなんとか胃の痛みも収まり普通の食事がとれるようになりました。精神的には一進一退という感じで、レキソタンを飲まずにすむ日も何日かあったと思います。ただ疲労感や倦怠感はとても激しく、本を読んだり音楽を聴いたりする意欲も全くわきませんでした。

結局この疲労感回復がまだみこめないということでもう一ヶ月休職することにしました。この疲労感というものはとてもつらいものです。激痛が走るというわけではありません。体全体が「痛み」に包み込まれているようなものなのです。動こうにも動けません。ただただ「痛い痛い」と唸り続けるのが精一杯なのです。


九週間目から十週間目
セラピー旅行に行ってきました。場所は八重山諸島です。旅行から帰ってきてからは、多少元気になりました。旅行中はストレスを感じる場面も多く、気持ちが萎えるようなこともあったのですが、全体としてはプラスに働いたようです。


十一週間目
週の前半はほとんど躁状態に陥り、もう一度石垣島に行こう、等と考えてしまいました。インターネットで航空券を予約し、ダイビングでCカードをとろう、等という無謀な考えを起こして、よく考えないうちにダイビングショップに電話してしまいました。前回のセラピー旅行で見た八重山の海が忘れられなかったのです。あの透明な海水にもう一度浸ってみたい、という強い欲望が出てきたのです。これはこれでうつ病的には意欲が出てきた、ということですからプラスなのかもしれません。

しかし、週の後半、出発間際になると、今度は不安の方が大きくなってきて、うつ状態に陥り始めました。体の痛みやだるさ、疲労感は相変わらず。こんな状態で旅行に行けるのか、とか、一人で旅行をして大丈夫なのか、とか、思い始めると悲観的なことしか思い浮かびません。これには困りました。

中田 誠「事故に遭いたくない人のためのダイビング生き残りハンドブック」

中田 誠
事故に遭いたくない人のためのダイビング生き残りハンドブック

この本には、ダイビング関連の様々な事故例や、事故には至らなかったものの危険だったことがたくさん書いてあります。また法的責任などの問題にも触れています。僕はこれをCカード取得申し込み直後に読んでしまったので、すごく落ち込んでしまいました。しかし、目をそらしてはいけない問題だと思います。ダイビングはストレスを忘れさせてくれるすばらしいレジャーだとは思いますが、常に危険と隣り合わせであることを肝に銘じなければならないと思いました。

ダイビング講習 その3

二日目からは、実際にボートに乗ってほかのお客さんと一緒にダイビングポイントまで向かい、数メートルの深さまで潜るこ担っていました。とは言っても実際には14メートルまで潜ることになるのですが…。今から思うと浅いと思いますが、当時は10メートルも潜るなんてとんでもない、と思っていたのです。


乗っていらっしゃるお客さんは、年配の男性もいらっしゃるし、若い女性もいらっしゃいます。ご夫婦でいらしている方もいました。水中カメラを持っていらしている方が多いのにはびっくりしました。そのカメラもハウジングという防水ケースに入っているわけだし、フラッシュやライトがつけられているので、見ただけでそのものものしさにひるんでしまうような感じです。まったく、どこの趣味の世界も同じだなあ、凝れば凝るほどすごいなあ、とおもったのでした。


今日一緒に潜った方たちは、体験ダイビングでいらした一人の女性をのぞいて、皆さん玄人な感じでした。器材のセッティングもそうだし、いざ潜るとなると手早い動きで器材を背負ってどんどん海に飛び込んでいきます。僕のような講習生は一番最後まで器材のセッティングや体への装着にとまどってなかなか水の中に入れませんでした。


1本目

まずは、課題だった脚の動かし方を練習しました。右脚はいいのですが左脚の動かし方がまだぎこちないのだそうです。脚全体を腿の付け根から動かして、膝から下の力は抜ききる。そして脚を蹴りきること。これがなぜかなかなか難しかったので、ボート上で数分間練習を行いました。


キックの練習を終えるといよいよ器材を背負ってBCの中に少し空気を入れて海の中にゆっくり入っていきます。ウェットスーツは5mmの厚さなので船上ではとても暑かったのですが、海の中に入ると冷たくて気持ちがいいです。水は緑がかったブルーで、本当に美しかったです。アンカーのロープづたいに徐々に潜降していくのですが、2、3メートル潜ると途端に耳が痛くなりました。水圧が鼓膜などを圧迫しているので、ここで何とか耳抜きをしようとつとめます。本来ならば痛くなる前に耳抜きをしなければならないのですが、そこまでの余裕はまだありませんでした。


海底に到着。深さは4、5メートルぐらいだったと思います。ここで中性浮力の調整を行ったり、マスククリアの練習を行ったり、口からレギュレータがはずれた場合、どのように復旧するか等を教えてもらったりしました。左肩を上に傾けて、太もも→臀部→ボンベの底と腕を動かしていきそのまま前へ持ってくるとレギュレータが口の前についてきてくれました。これはあまり難しくありませんでした。


そんな練習の中でも魚はたくさん。チョウチョウウオやクマノミなどの熱帯魚を数多く見ることができました。おそらくインストラクターの方はなれているので見向きもしないけれど、この色とりどり、まるで彩色板を見るかのようなカラフルな魚の群れをみて感動せずにいられるでしょうか?それにもまして海の水の透明度といったら。おそらく15メートルから20メートルぐらいあるのだそうです。確かに遠くは青みがかっていますが、近くを見ると濁りもなくほとんど地上と同じぐらいだとおもいました。


初めてのボートダイビングは問題なく終了。小一時間は潜っていたと思う。ログブック(*)によれば最大深度7メートル、47分間の水中講習でした。残圧(*)は70とあるから、結構余裕を残して浮上してきたようでした。


2本目


2本目の潜降はログブックによると14メートルまでもぐりました。ここではアオヤガラという筒型の長い魚を始めてみました。今まで想像したこともないような魚の形に驚きました。しかし、この魚、何か憎めない感じで見ているだけで非常にいやされるのです。アオヤガラが三匹ほど泳いできたのですが、そのうち一匹は回転行動をとっていました。くるくる回りながら泳いでいるのです。後で聞いたところでは求愛行動をしているのではないか、ということでした。


それから、典型的な熱帯魚であるツノダシも何度か見かけました。もちろんインストラクターの方は見向きもしません。毎日のように潜っている方々には珍しくも何ともないかもしれませんが、、僕にとってはみているだけで、本当に癒しなのです。


こうして、この日のダイビングは終了。ショップで学科の勉強をしました。

演じると言うこと

サラリーマンなら、サラリーマンプレーをしている。

演じているのだ。俳優のように。

ろくに尊敬もしていない人に対して、尊敬のまなざしを投げかけてみたり。

1オクターヴ高い声でしゃべってみたりね。


そういう意味では、「私」を作ると言うことは、僕にとっては演技すること以外の何者でもない。


それをやりすぎると、きっと病気になるのだと思う。

なにごともほどほどにといわれるかもしれないけれど、そんなこと言っている余裕はなかったしね。

市役所と病院に行ってきました

午前中は本当に暑かったのですが、市役所と病院に行ってきました。


精神保健福祉法32条の給付についての説明を市役所で受けてから、病院で診断書を書いてもらう手続きをしてもらいました。精神保健福祉法32条の給付というのは、うつ病などで病院にかかる際に、通常の健康保険では30%負担のところを5%負担ですむというものです。先日紹介した「「うつ」を治す事典」にも軽く触れられていましたが、読み落としていました。


それにしても、昨日になってようやくインターネットで知った僕も馬鹿だったのですが、病院側でも教えてくれればいいのに、と思いました。診療費や薬代も結構かかりますので大変だなあ、と思っていたのですが、知ると知らないとでは大違いです。


ちなみに、診断書は1週間程度かかると言うことなので、それ以降の申請になります。申請は市役所で行います。申請をすると1~2ヶ月の審査期間を経て患者票というのをもらえるそうです。


じゃあ、審査期間の1~2ヶ月はどうなるのか、というと、病院によっては、患者票がないと5%負担にしてくれないところもあれば、患者票がなくても申請をしていれば5%負担にしてくれるとことなど扱いが統一されておらず様々だそうです。僕の通っている病院は患者票がないと5%負担にしてくれないそうです(ただ、その月分については遡及して払い戻しをしてくれるそうですが)。少し複雑な気分です。この何ヶ月もの間はいったいなんだったんだのだろうか、と……。


今日の予定

暑い日が続いています。今日もとても暑くなるようですが、病院と市役所に行くことにしました。精神保健福祉法32条の給付について相談するためです。うつ病の診療にかかっていると、診療費や薬代が馬鹿になりません。休職中ですので傷病手当だけで生活しているので経済的にも微妙な状況です。市役所や病院に電話をしたところ、まずは早めに先生に相談したほうがいいでしょう、とのことでしたので、市役所に書類をもらいに行ってから、先生に相談に行きます。

朝の調子は最悪でした。早朝覚醒で4時頃目が醒めて、それから眠っているのか眠っていないのか分からない状態で悶々としていました。今はリタリンを飲みましたので、徐々に苦痛がおさまってきた感じです。この暑さの中で行動できる自信はあまりありませんが、頑張っていって見たいと思います。

それではそろそろ行ってきます。

(6) 休職してから(1)

一週間から二週間目
会社からの開放感でしょうか、精神的には幾分か安定していたと思います。しかし徐々に感情のコントロールが難しくなり、レキソタンという精神安定剤を飲んで気分をコントロールしていました。毎日過眠状態で10時間から12時間は眠っていたと思います。少し無理をして上野の美術館に行ったりしてみたのですが、かえって疲労を強める結果になりました。それ以来遠出は控えています。

三週間目から四週間目
徐々に体の疲れがひどくなってきました。歩くことさえままならない状態です。よろめきが激しく、まっすぐ歩くことができません。ほんの数分歩いただけで寝込んでしまうような状態です。床に伏せったまま背中や肩の痛みに耐えかねてうなり声を上げているような状態でした。体力的な衰えを防ぐために、毎朝ラジオ体操を始めました。すぐには効果は出ませんでしたが、毎朝6時30分に起きるという規則正しい生活を送るためによかったと思っています。

精神的にも不安定で、特に午前中はつらくてつらくて仕方がなく、毎日のようにレキソタンを飲んでいました。睡眠状態も悪く、昼夜逆転の状態になってしまい、そうした生活が精神的な負担につながっていきました。このころからマイスリーという睡眠薬を飲み始めました。結局休職期間を一ヶ月延ばすことにしました。

五週間目から六週間目
肩や背中の痛みはロキソニンという鎮痛剤で、精神的なつらさはレキソタンで、睡眠障害はマイスリーという睡眠導入薬で、という具合に、頓服薬を使って状況を安定させようとしました。仕事柄パソコンに向かうことが多かったわけですが、家のパソコンに向かってキーボードをたたくのがつらくてつらくて仕方がありませんでした。画面をみて数分すると肩に鈍くて強い痛みが始まるのです。これには本当に参りました。画面をみて、布団に入って、また画面をみて、という状況でした。

七週間目から八週間目
心配をしてくれたのでしょう。学生時代の友人から電話がありました。そのときはとても楽しかったのですが、少々刺激が強すぎたらしく、その晩激しい胃の痛みに襲われ眠れなくなりました。この一週間は普通の食事をとることができませんでした。先生から胃の薬をいただいてなんとか胃の痛みも収まり普通の食事がとれるようになりました。精神的には一進一退という感じで、レキソタンを飲まずにすむ日も何日かあったと思います。ただ疲労感や倦怠感はとても激しく、本を読んだり音楽を聴いたりする意欲も全くわきませんでした。

結局この疲労感回復がまだみこめないということでもう一ヶ月休職することにしました。 この疲労感というものはとてもつらいものです。激痛が走るというわけではありません。体全体が「痛み」に包み込まれているようなものなのです。動こうにも動けません。ただただ「痛い痛い」と唸り続けるのが精一杯なのです。