前回の前説によってなぜ田辺聖子を読もうと思ったのか、そのきっかけを記した。今回はその続きである。

 

2/15(金)午後から熊本市内で待望の会議が開かれたのである。いや、会議を待望したのではなく、とにかく熊本市のTSUTAYAに行くきっかけが欲しかった。そしてまた会場が熊本県民交流会館パレア10階会議室だったので、書店に近い。

 

ラッキー。

 

そそくさとTSUTAYA書店に出向き書棚を見ると、田辺聖子の乃里子3部作のうち『言い寄る』と『苺をつぶしたら』の2冊があって、『私的生活』が中抜けだった。ま、とりあえず『言い寄る』を読んでみてからの話だと、乃里子3部作のうち『言い寄る』だけを購入した。そしてついでに『ひねくれ一茶』を加えた。

 

 

初体験の田辺聖子『言い寄る』は文章が柔らかく、そして滑らかなこと。主人公乃里子の言動は柔らかく軽やかである。読み易さと相俟ってすいすい読み進む。明るくて楽しい。これで一気に田辺聖子が好きになった。

 

と、ここで、待て待て。『言い寄る』はこのままではあっという間に読み終わる。ここは一旦、読みかけにして、『ひねくれ一茶』を先に読もうと決めた。

 

『ひねくれ一茶』は重いテーマでありながら、どことなく明るくて軽やかである。一昨年、藤沢周平『一茶』を読んだ。これは正統派小説というか、リアリズムというか硬質である。それに比べれば、田辺聖子はやわらかい。そしてあきらかに一茶が好きだというのがにじみ出ている。

 

一茶が俳人でありながら生活苦にあえぐのは致し方のないところであるが、それでも俳人仲間との交友関係や旅好きなところなど、一茶が好きなのだと伝わってくる。

 

小説の一茶は俳人たちとも仲が良い。読む方としては負担感がない。と、まだ読み始めたばかりだから、ひとまずここらへんにしておくか。それにしても『ひねくれ一茶』は読むごとに身にしむなぁ。(続く)。

 

 

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