4/1(日)上塚尚孝さんの案内で肥後のめがね橋めぐりをしている。豊野町鬼迫の三由(みつよし)橋の次に向かったのは、宇城市小川町北海東の旧吹野橋。

 

 

どの道を通ったのかといえば、宇城中体連の駅伝コースになっている道路。タローが中学生のとき駅伝で走った区間なので、見覚えがあった。豊野町だと思っていたら、そこはもう小川町北海東である。

 

西日本新聞連載「めがね橋散歩」によれば、旧吹野橋は砂川に架かる橋である。「へぇ~」ここが砂川上流だとは驚いた。もはや道とは言えないところに橋がある。藪の中に埋もれていたのを地域の人々公役で竹や草木を除去して、ようやくにして日の目を見たのが1999年の新年だったという。

 

「めがね橋散歩」には次のように記されている。

「歩いていくとチカラシバが群生する野道だ。行く手を阻むクモの巣を手で払いながら進むと足元はヤブマオやクズの葉がいっぱい。そのうち脇にヨメナの花が見え、伊藤左千夫の小説の舞台を連想する。タデの花も目に入りやっと花野道になったあたりで、川音が耳に響き橋の細長い路面が見えてきた。」

 

 

宇城文芸誌「しらぬい」の会員が足を踏み入れると、草が刈り払われて歩き易き野道になっている。そしてここは「めがね橋散歩」に記述されるように、カタバミ、ミミナグサ、ムラサキケマンなど、いろいろな草花に出会うことができた。そして草花についても上塚尚孝さんが花の名前を教えてくれた。

 

 

石橋も草花もここ旧吹野橋が個人的には最も満足度の高い訪問だった。(続く)

 

 

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