4/1(日)宇城市豊野町の山崎橋から小熊野川の上流に車を走らせれば、懐かしさがさらに募る風景。道路の曲がり具合が直線ではなく自然でゆるやかなカーブ。高低差も自然。川があり、田畑があり、家がある。

 

春ののどかな景色に包まれる。現代社会のストレスとは無縁であろう里を過ぎると、豊野町と小川町海東をつなぐ県道32号線に出る。山崎橋から来た道と県道とがクロスするところに三由(みつよし)橋。

 

説明板には「みつよせばし」と記してある。地元ではそう呼ぶのだろうか。

 

ここで2年前まで東陽石匠館長だった上塚尚孝さんが宇城文芸誌「しらぬい」の会員に配布してくれた資料集に記された<三由橋> を読んでみる。「豊野村史」の記述と橋のある地域と地域の事業帳とを綿密に調査したプロセス、郷土史家の執念が実った瞬間が記されていてドラマティックである。

 

結論として、三由橋は「文政13年鬼迫3月7日成就」が上塚さんによって明らかにされた。なお石工についての記述はない。

 

 

三由橋は雑に造られているように見えるが、一昨年の熊本地震にも耐え、今もなおその姿を留めている。その強靭さはどこから来るのか。石組みに隙間があって、これが加わる圧力を逃がす。何事も「遊び」が大事なのだ。(続く)

 
 

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