椿説は、滝沢馬琴の「椿説弓張月」に倣った。椿説とは珍説で、史実をもとにしているが全体として荒唐無稽なフィクションだよと読者に断っているのだ。さらに椿説はちんぜいとも読む。弓の名手鎮西八郎為朝の話だとも言っている。同じ滝沢馬琴の「南総里見八犬伝」と並ぶ江戸時代のベストセラー小説である。これから書こうとしている俳句入門にまつわる個人的なエトセトラごときに椿説を拝借するとはたいそれた所業と言わざるを得ない。しかし、その内容がデタラメばかりで真に受けてもらっては困るとあらかじめ予防線を張っておく必要があるのだ。
また、俳句入門というのもいささか言い過ぎの感がある。未だ俳句結社に入門してはいない。では俳句の何をやっているのだと問われれば、ブログ句会に投句しているに過ぎない。このブログ句会が権威あるものかと問われれば、そうではない。俳句結社「鷹」同人である個人ブロガーの呼びかけに応じて二十人ほどが月一で三句を投句する。六十ほど集まった句の中から個人が九句の選を行う。すると高得点句から順に得点ゼロ句までずらりと句が並ぶ。これを繰り返して三十回だから二年半ほど続いている。宇城文芸誌「しらぬい」第十号が発刊される頃には三年になっているだろう。
昨年の十一月、いつものようにネットでブログ巡りをしているとき、このブログ句会の存在を知り、何の考えもなく投句したのが始まりである。今から思えば無分別であったと思うが、俳句に限らず何事もきっかけというのはひょんなことから始まる。季語は「山装ふ」であった。霧島連山の大浪池を周回してきたばかりだったから、そのときのことを思い出して句を詠んだ。
妻の影踏みつつ歩く山装ふ
最高得点句が八点のとき三点であったか。句評を読むと「もしかすれば、亡くなった奥様の面影を偲びつつ紅葉で彩られた山を歩いたことを詠んだ句ではないか」あるいは「奥様を先に歩かせて、その後ろを寄り添うように歩く夫の優しさがしみじみと感じられる」などと記してあった。事実はそうではない。妻の方が五歳若く健脚であり、妻が先を歩けば自分はついていけないので、山登りであれば自分が先を歩く。ところが大浪池周回は山登りというよりハイキングみたいなもので、妻が先を歩いても支障なかった。天気に恵まれて登山路に木漏れ日が射し、前を行く妻の影を映す。大浪池の周囲は紅、黄、緑が入り混じり「山装ふ」そのものである。ちなみにこの句を詠んだとき切字とか切れとかの意識がない。自分では「歩く山」と詠んだので、意識として切れはない。ところが評する人は全員が「歩く」で切れを入れて読んでいる。
ビギナーズ・ラックだったのだ。
ビギナーズ・ラックで思いがけない評価を得て有頂天になる、あるいは自信過剰になるのはよくあることで、もしかしたら自分には俳句の才能があるのではないかと思ってしまう。少なくともこのまま俳句を続けてみようと思ったのだ。ところがそれからは喜びと苦しみの入り混じった言いようのない日々が続くのである。ここで自句を紹介するのもはばかられる駄作のオンパレードであるが、恥を忍んでとり上げる。職場には句会があって、ブログ句会に投句を始めたのを機にこちらにも参加し始めたので、併せて記す。
取り皿も同系色なり茹で若布
冬鳥の風をはらみて動かざる
鳥影の消えゆく干潟涅槃西風
言葉なき惜別もあり春日傘
溝浚へ見かけぬ人も集ふなり
雨だれのシンコペーション藍浴衣
蜩やごっちんめしのテント泊
老いの身を妻と生きなむ菊日和
俳句に心得のある方の目で見れば、句作を始めてからほとんど進歩が見られないと思われるであろう。残念ながらその通りである。俳句の形を知り身につけることと、自由に発想を飛ばすというあたかも相反することを十七音に収めるのは容易ではない。



