今日まで源氏物語を通しで読んだことはない。かろうじて漫画で読んだのが一昨年であったか。ちなみに古事記も漫画で読んだ。ごく限られた人を除けば、大方そんなものではないだろうか。

 

なにしろ長編である。ましてや原文で読むなどというのは国文学で源氏物語を専攻した人くらいではなかろうか。勝手にそう思っているだけのことで、実際のところどうなのかは分からない。

 

実は、TSUTAYA書店下通り店で角田光代訳「源氏物語」を買ったのである。数行目を通したところでは、読み易い。しかし、やはり長編である。そのとき、この本が目に入った。

西村和子「季語で読む源氏物語」。

 

 

そもそもなぜ源氏物語を読もうと思ったのか。

それは俳句を詠むための基礎知識として押さえておいた方がいいのではないかと思ったからである。

 

それならば「季語で読む源氏物語」のほうが手っ取り早いではないか。それに源氏物語を十分に研究し尽くした著者が素人にも分かりやすく解説を加えてくれるのであるから理解も早いだろう。そう思った。

 

俳句は和歌の世界をぶち壊して新しい表現あるいは原初的なラディカルな表現を試みるものであり、むしろかつてあった花鳥風月から離れる一面を持っている。そうだとしても、ではなぜ俳句は花鳥風月を否定しなければならなかったのか。などとさまざまなことを考える上においても花鳥風月を知らない、分からないでは話にならないではないか。ただし、俳句の根本にある「喩(ゆ)」という点においては、和歌も共通である。

 

そんなことを何となく感じるからこそ源氏物語なのだ。「喩(ゆ)」に慣れるには、源氏物語がストレートで分かりやす

 

 

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