室の八島―木の花咲耶姫

室の八島に詣す。同行曽良がいはく。「この神は木の花咲耶姫と申して、富士一体なり。無戸室に入りて焼きたまふ、誓いの御中に、火々出見の尊生まれたまいしより、室の八島と申す。また煙をよみならはしはべるも、このいはれなり」。はた、このしろといふ魚を禁ず。縁起の旨、世に伝ふこともはべりし。

 

曾良が蘊蓄を語ると、芭蕉が拝聴する。曾良が語るのは古事記、日本書紀ではなく、この神社の縁起、つまり由緒書きの内容。

 

以下は、八島様からコメントを頂いたので訂正させていただきます。

 

記紀神話では無戸室で生まれたのは3神ですが、この神社の縁起では「ヒコホホデミノミコト」1神しか生まれなかったのです。そして「ヒコホホデミノミコト」は木花咲耶姫がなる前のこの神社の祭神です。

芭蕉が訪れる10年前のこの神社の祭神は「ヒコホホデミノミコト」でした。

 

ここは「おくのほそ道」における曾良が主役である。曾良は何者なのか。松尾芭蕉の門下生にして神道を学んだ。この長旅を芭蕉と共にあり、「曾良旅日記」を記した。その他のことは「おくのほそ道」の少し後に出てくる。

 

 

日光―仏五左衛門の宿

三十日、日光山の麓に泊まる。あるじの言ひけるやう、「わが名を仏五左衛門といふ。よろず正直を旨とするゆゑに、人かくは申しはべるまま、一夜の草の枕もうち解けて休みたまへ」と言ふ。いかなる仏の濁世塵土に示現して、かかる桑門の乞食巡礼のごときの人を助けたまふにやと、あるじのなすことに心をとどめて見るに、ただ無知無分別にして、正直偏固の者なり。剛毅木訥の仁に近きたぐひ、気稟の清質もつとも尊ぶべし。

卯月朔日、御山に詣拝す。往昔、この御山を「二荒山」と書きしを、空海大師開基の時、「日光」と改めたまふ。千載未来を悟りたまふにや、今この御光一天にかかやきて、恩沢八荒にあふれ、四民安堵の栖穏やかなり。なほ憚り多くて、筆をさし置きぬ。

 

あらたふと青葉若葉の日の光

 

(ああ、なんと尊いことだ。この山の青葉・若葉は、初夏の陽光ばかりか、日光山の威光に浴して、照り輝いている。)

季語=青葉若葉(夏)

 

以下は、ネットで見つけた解説である。そのまま引用させていただく。

日光で芭蕉は"あらたふと青葉若葉の日の光" (なんと尊いことだろう日光山は。新緑に埋もれる木の下闇まで燦 々と日の光が射している) さらに、後半の山形、月山では

 

雲の峰いくつ崩れて月の山

 

 (昼間の陽射しの中で、猛々しく起立していた雲の峰はいつしか崩れ、今は、 薄明かりに照らされた月の山が横たえているばかりだ)を詠んだ

 

 

奥の細道でこの二句は、日光が太平洋側に月山が日本海側に、日の光と月の山をかけて意図的に対比させてい。その意味は太陽は昇り、沈む、月は満ち、欠ける、季節は巡るが自然を動かすエネルギーは何にも変わらない。この世は変わっているように見えるが実は何も変わっていない。芭蕉がこの旅で感じた境地、「不易流行 ふえきりゅうこう」である。

 

・・と俳人 長谷川櫂氏は述べてい。そこまで深読みするものなのか、自分には分からないけど、そういえば「おくのほそ道」初めの句と終わりの句が対になっていた。

なんともはや・・・。(続く)

 

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