11/2(火)午後からセミナーがあり、熊本市男女共同参画施設「はあもにい」に出かけた。清水町の国道3号線から菊池電鉄の踏切を渡ったところにある第2駐車場に車を止めた。ここは熊本市坪井。
坪井は縁の薄い所である。そういえば、学生時代は友人が借りたアパートが坪井にあったなと思い出したくらいである。3号線から東に位置するルーテル学院大学、濟々黌、熊本大学の周辺であれば一時期たむろしていたことがあるからある程度知っているが、それは今や昔のことで、もはや無縁である。
車を止めた所から数枚の写真を撮った。熊本市の市街地から郊外に向けて住宅街になっている。区画整理がなされていないから、相変わらず狭い道に車がひしめき合う。
夏目漱石も坪井に居を構えたことがあったかな。歩いて旧制五高に通うには比較的近いし、少し歩けば商店もあったのではないか。そう思って、夏目鏡子が語る「漱石の思い出」を紐解くと、短い間にかなり引っ越しを繰り返している。
明治29年、第五高等学校の教師として熊本にやってきたとき、夏目漱石は29歳だった。英国留学が決まり33歳で熊本を離れるまで4年3か月を過ごした。その熊本滞在期間に6回も転居を繰り返した。
年表によると、熊本市内の
①下通り
②合羽町(坪井2丁目)
③大江
④井川淵
⑤内坪井
⑥北千反畑
だった。
そのうち5番目に移り住んだ内坪井の家に1年8か月暮らし、鏡子夫人は「熊本で済んだ家の中で一番よかった」と語ったという。この家は今でも記念館として公開され、内坪井の家は熊本城、公共施設、商業施設に近い住宅地である。
写真を撮った所は坪井でも町から遠い外れに当たり、今でこそマンションなどが建っているが、漱石がいた頃は一面の畑だったのではないか。内坪井の家から第五高等学校まで漱石が歩いて通うとき、この付近も歩いたことがあるかもしれないと、ふと思った。



