夏目漱石の一つや二つくらいは読んでおこうと、「吾輩は猫である」「坊ちゃん」の文庫本を買った。何といっても夏目漱石だから、「猫」や「坊ちゃん」くらいは読んだはずだと思うけど、いやもしかしたら全く読んでいないかもしれない。あるいは読んだとしても、ちっとも面白くないと放り投げたのかもしれない。なにしろ全く覚えがない。ということはやっぱり読んではいないのかな。
仮に読んでないにしても、どんなものか知らないわけではない。「猫」については猫が主人公で主のくしゃみ先生や出入りの面々の行状を面白おかしく書いたものだという見当がついている。「坊ちゃん」に至っては映画を観に行かなくても、テレビドラマで演っていた。山嵐が若かりし西田敏行。西田敏行もまだ駆け出し俳優だった。坊ちゃんが誰だったかは忘れた。
そんな具合だから小説を読んでいなくても知っているつもりになってしまうけれども、読んでいないにしろ、記憶にないにしろ、よくは知らないのに違いないので、つべこべ言わずに読んでみようと思った。
「猫」に関してはなるほど面白い。その内容は鏡子夫人が語る夏目漱石の日常生活と同じ。日常生活を風刺とユーモアで綴ってある。漱石が原稿を書くスピードは速く、分厚い量をあっという間に書きあげて、しかも手直しなどなかったと鏡子夫人はいう。ある程度の構想が出来上がれば、ごく自然に無理なく出来上がるのだ。言わば、ホトトギスという俳句仲間に読ませるために書いたようなもので、いくらでも書き進めることができたようである。読んだ人が「これは俺だ」とすぐに分かるから、モデルにされたと思しき当人は大いに不満だったそうだが、漱石は意に介さずどんどん書いていった。
かくして読む方はといえば、肩が凝らない。ときにはフフと笑いながら、ああ作者の漱石って面白いやっちゃなぁ、と読後感がすこぶるよろしい。これはエンターテイメント小説であり、売れ筋の本だったと分かる。ましてやこれが明治時代だったことを考えれば、日本において未だかつてない画期的な小説であり、これを読んだ世の人々はぶっ飛んだのかもしれない。しかし、長編だから、ある程度読んで、もういいかとその先を放置した。
「坊ちゃん」にはうなった。ザ・小説ではないか。簡潔な文章にして、畳み掛けるようにストーリーが展開する。漱石が第一行を書き始めたときにはオシマイまでストーリーが出来上がっていたに違いない。背景には松山中学に赴任したときの体験と松山出身の正岡子規との交友があってのことで、エピソードには事欠かなかった。これを読んで面白いと思わない人はいないだろう。「坊ちゃん」は読みかけだから、ここまでにとどめよう。それにしても夏目漱石は凄過ぎる。

