NHK総合放送で「夏目漱石の妻」という連続ドラマが始まった。書店に夏目鏡子述「漱石の思い出」が平積みされている理由がそれで分かった。
「漱石の思い出」は全部が面白いけど、「おう、そうか」と膝を打つ箇所がいくつもある。例えばP318にこのようなくだりがある。
長塚さんの長編小説「土」にはたいそう感心した様子で、序文を書いたりしておるくらいですが、その中に自分の娘にぜひこの小説を読ますなどということが書いてあります。が元来娘たちに小説を読ませるのは大嫌いで、ほとんど厳禁の形でありました。
というのは、第一生はんかな文学話などをやられてはたまらないというのと、それが昂じて、よく女流の作家で家へいらしたりなどする方のようになられちゃかなわないと口ぐせのように申しまして、娘が小説を読むのをひどく嫌っておりました。そんなわけで自分のの人のの区別なしに、後になっても大きな娘たちには全く小説を読ませないといってよいくらいでした。
この話に共感を覚える。ま、仮に厳禁されても、陰に隠れてこそこそと読むのが小説じゃないかと思う。一種麻薬のようなもので止められない止まらない。それが世の役に立つのか立たないのかといえば、無論のこと、役に立つことがあり、必要な物である。
しかし、一人の人間がなすべきことは数多くあるのに対して、個人が有する時間には限りがある。なすべきことを放り投げて小説をむさぼり読むようになってもらっては困る。ましてや少年少女の内から文学にかぶれてもらってははなはだよろしくない。年取って死ぬ間際にでもなればもう何をやってもいいと思うけど。
そうはいっても後年作家として名を成す人たちは一般人とは明らかに異なり、例えば、向田邦子は小学生の頃から読書を禁止されていたが、屋根裏部屋に隠してあった夏目漱石全集を隠れ読みしていたというし、小川洋子は小説「ミーナの行進」から推測するに、幼い頃から大人が読むような本を読む習慣があったようだけど。

