6/7(日)呼子港から定期船にて加唐島に上陸。

今回の旅の目的である百済武寧王生誕祭に参加すること。


では、島でもらった資料に記載されている武寧王と加唐島との関わりについて・・・。


武寧王とは6世紀前半に活躍した百済の25代目の王で、百済国中興の祖とされている人物です。そして、この王の生誕にまつわる伝説が加唐島にはあるのです。「日本書紀」は次のように伝えています。


「461年ころ、百済のケロ王が、弟昆支(コンキ)を倭国に派遣する際、臨月であった自分の側室を与え、途中で子が生まれれば百済に送り返すよう命じた。一行が各羅嶋(かくらしま)に来たとき、夫人は男子を出産。この人こそが「嶋君(しまきし)」と呼ばれた百済25代武寧王である。」


この記述は長く伝説の域を出ませんでしたが、1971年、大韓民国・公州市の宋山里古墳から武寧王陵が発見されて以来、「日本書紀」の正当性が評価されるようになりました。


楽隊


今年が生誕式の14回目。

加唐島の生誕記念碑で式典が行われ、その後、オビヤ浦にて演劇「武寧王生誕の話」が行われた。

演劇と音楽は韓国からやってきた人たちが演じるのだが、加唐島の住民も昆支(コンキ)一行を島に迎える役回りで出演した。


韓国の民族音楽を演奏した人たちは音楽大学で教鞭をとる人たち。レベルの高い演奏を目の前で聴き、得がたい体験をしたことになる。演劇は、前日の唐津市のホールで行われた公演と同じであったが、伝説の地にて迫真の演技だった。


国やマスコミがどうあろうと、地方はそんなことに拘わらずどこまでも日韓の友好の絆を深めていく。韓国から人々がやってくるだけでなく、日本からも韓国公州市へ多くの人が出かけてもいるが、韓国の人々がより日本に対する強い友好を望んでいると思われる。

アンニョンハセヨ~。