5/18(日)は文芸誌「しらぬい」の会による小川地区現地研修会。

午前9時前10分頃、雨読さんからのケイタイが鳴って、1日がスタートした。

集合は午前10時だから、1時間前に家を出れば楽勝だと思っていたら、「寝坊しとるとじゃなかか?」と言われて、9時スタートであることを知った。

それから慌てて家を飛び出し、集合場所の宇城彩館に向かうと、すでに参加者全員が集合していた。侘びを入れると「もうこれ以上の失態はなかろう」と笑われた。


長谷寺
休憩

参加者17人が5台の車に分乗して宇城彩館を出発。

目指すは、宇城市小川町中小野地区にある長谷寺(ちょうこくじ)。

長谷寺についてはこのブログで過去3回ほどとり上げた。

宇城市文化課Nさんからの依頼で、地元の老人会長Mさんが御堂のカギを開けてくれ、建物の中に入って木造十一面観音菩薩立像を間近に見ることができた。中小野地区が作ったパンフレットがあり、配布された。日頃の手入れや清掃も見事で、このような調査までしっかりなされていることに驚くとともに、地域の力を感じた。


ここでは縁あって知ることになった中小野地区の正寿寺(しょうじゅじ)について、「歴史と文化の香る桜の里 中小野」文化財、史跡等の案内資料から抜粋してみることにする。

がねの個人的な超ローカル、マイナーな疑問に見ごとに応えてくれたのだから。


8寺院・正寿寺

かつては中小野には、長谷寺(曹洞宗)、正寿寺(真宗)、万福寺(後に万徳寺)(真宗)の3か所の寺院があったが、2寺は廃寺となり、現在は正寿寺のみが存続している。

正寿寺の建立は、天保11年(1542)小野城主男成大和守正寿とあり、出家したその名がそのまま寺名となり、天台宗正寿寺と称した。

また、花の山城主絹脇刑部左衛門の菩提寺でもあったが、天正13年花の山の戦いに赴き、主従ともども戦死している。

その後寺運は傾いたが、寛文2年(1662)熊本市正木町の善正寺の俊義が役所に願い出、天台宗を改め浄土真宗本願寺派となっている。


う~~ん、疑問が一つ、晴れた心地がする。

現地研修会から離れて、すっかり脱線してしまったけど…。

この調子で書き続けると、いつまで経ってもレポートが終わりそうにないので、皆さんに会の報告をするというより個人的に興味を持った部分だけ記して終わることにしよう。


※コメントいただいた乙女さん、ご一緒させていただいてホントに楽しかったです。ご主人ともども控えめな方ですけど、ブログを拝見しましたらハイセンスなのでぶっ飛びました。ここにそのブログを貼り付けさせていただきます。

乙女さんのブログはこちらから


乙女の靴音(5/18小川地区現地研修会)

http://blog.goo.ne.jp/yamagutsu2308/e/ac6dd0ace91a0bc16aa739f08f16bfbe