扁桃腺が腫れた。土日、はしゃぎすぎた。昼間は暖かいけど、朝晩は冷える。月曜日の朝、目覚めたときにはのどが腫れていた。


 土曜日の夕方、高校の同窓会があって出かけたことをすでに書いた。酔っぱらって書くと、ほとんどの場合ろくなことがない。後で後悔しても遅い。その後をすぐに書こうかと思ったが、我慢していた。夜も書かない方がよい。感情に流され易いからだ。昼間、冷静になって書くのが無難というもの。


 同窓会のオープニングに還音(カノン)2011というグループによる演奏があった。がねよりも2つ下の学年の人々が中心になって結成されたという。それで名簿を見ると、その中にあのお稲荷さんの名前があった。それとオダッチがいた。若い頃、オダッチとはよく遊んだし、家に上がり込んで酒を飲んだりした。どこにでも上がり込むのが、がねの得意技だった。


 還音(カノン)2011がアトラクションの演奏しているとき、がねは写メを撮るためステージに近づいた。そしてギターを弾いているオダッチを真正面からカシャと撮った。


 この行為をだれも怪しむ者はいない。がねに気づいたオダッチは満面に笑みを浮かべて会釈を返した。だけど、がねのホントの狙いは、還音(カノン)の一員として演奏しているであろうお稲荷さんにがねの姿を見せることだった。


しらぬいのがね-カノンの演奏


 がねがいたのは40番テーブル。次から次にかつて関わりのあった人たちと談笑を重ねていた。なにしろ、万歳三唱をして同窓会が終わったとき、料理を何一つ食べていないことに気がついたのだが、その日食べたのは小さい皿の杏仁豆腐だけだった。会費を8000円も支払ったのに。


 途中、オダッチが、がねのテーブルを訪ねてくれて、互いに近況を話した。そこで還音(カノン)結成、活動状況について尋ねてみた。お稲荷さんがピアノを弾いているのを知った。道理でステージを見回しても見当たらなかったはずだ。ピアノはステージの先のフロアにあったのだから。


 誰彼となく次々に話を続けていると、テーブルの横に一人の女性が立っていた。こちらを見ている。がねは椅子からすっと立ち上がり、女性に近づいた。女性が口を開いた。


 小さい声で「分かった?」

 がねは答えた。「すぐ分かった」


 すこし前の還音(カノン)の演奏曲にラテンの♪テキーラがあって、彼女がステージのフロント、マイクの前に立ち、タクトみたいなものでギーコ、ギーコ音をだす楽器を手にし、聴衆からの掛け声を催促、誘導する役割を務めていた。がねとしては遠くからではあるが、彼女の姿を見させてもらった。


 がねがステージ上での彼女のパフォーマンスをまねてみせると、「やれっていうもんだから…」と顔を下に向けた。


 希望したのではないけれど、フロントに立つことは若い頃から常に彼女に期待され求められてきた役回りだった。彼女がナイーブで静かな人であると知る人は少ない。


 「音楽をやってたんだね」

 「うん」

 小さい声でうなずく。

 後の言葉が出てこない。速射砲のように言葉を紡ぐ人でもあるのだけど・・・。


 「その節は迷惑をかけて大変申し訳なかった」

 がねは頭を下げた。

 しばし沈黙・・・。

 「お稲荷さんを継ぐべき宿命を背負っていたんだよね」。


 そこで彼女が口を開いた。

 「それがいやで家を出た。結婚して子どもができた。娘が2人いる。主人が親に騙されて家に戻った。」

 「この前、お稲荷さんに行ったよ。そのまま登り続けて、戸崎の河原に下りた。そのとき家で娘さんを見た。きれいな人で、若い頃のお稲荷さんにそっくりだった。神社は隅々まで掃除が行きとどいていた」。

 「わたしじゃない。主人がやってる」。


 会って話をするのは、かつての長崎旅行のとき以来で、2回目。だけど、大勢の人の中に2人いて、なぜか気持ちが安らぐ。この人といると心地よい。素直になれる。がねはそっと彼女の手を握った。彼女に触れるのはこれが最初で最後。


 ただそれだけのことだ。いろんな人に会って、いろんな話をしたのだが、もう気力が失せてしまった。同窓会の話はこれでお終い。