松田喜一さんの基本信条を掲載します。始めに松田喜一さんとはどういう人なのか。がねは、農業を営んでも日曜菜園を行なってもいなくて、まして松田喜一さんに詳しくもないのです。


 ただ、幼い頃から松田喜一さんのことをずっと聞いて育ちました。それは、がねの母が子沢山で、戦後の貧しい生活の中、魚の行商をしながら一家の食を支えたことと、もうひとつ、畑で野菜を作ってやはり一家の食を支えていたからです。


 父が教職にあり、母もまた農業を経験したことはなかったのですが、戦後、引揚者として父方の祖母の実家に身を寄せたときから農業というほどのことではなったけれど、わずかな面積の畑を無償で借り、野菜作りが始まったのです。


しらぬいのがね-つばめ3



 自宅の空き地にはなす、きゅうり、トマトなどが植えられ、自給自足に近いものでした。母はよく自慢していました、自分は野菜作りが上手である。それは何故かというと松田喜一さんの本を読み、充分に研究して、野菜を作っているからだ、と。


 いつも「松田喜一さんは・・・」というのが口癖だったのです。また、松田喜一さんが、生徒を寄宿させながら農業の専門学校を営んでいた松田農場は、がねたちが暮らしていた文政村のおざや川を挟んだ昭和村にあったのです。