最初に連絡事項です。

メルマガ、今回はブログでご案内していないですが、送信しました。が、が、かなりの数、送信ができていないようです。僕のメルアドも登録しているのですが、僕のところにも来ていません(汗)

システム変更をしたので、何か影響があったと思われます。「あれ? 今日はメルマガ来る日なのでは・・・?」と困惑された方、申し訳ございません。原因究明や対応は月曜日以降になります。

ご了承ください。

本日は、うちの嫁さん「はるちゃん」とインスタライブをしてました。別に予定したわけでは無く、ちょっとした空き時間ができたら、「インスタライブやろ〜」と誘われたのです☆

さて、ブログのコメントで、ノンデュアリティ(非二元)の話題が出てました。「私」はいないってやつ。

「我思う、故に我あり」という、デカルトが唱えた有名な近代哲学の前提があります。これを「二元論」といいます。私と私以外で、二元です。

欧米では、ここ200年ほど、このデカルトの二元論をくつがえそうと色々な人達がチャレンジしてきました。

もし「我思う」の「我」がいないとするなら、デカルトの二元論はくずれます。もし、くずす事に成功した人がいれば、その人は哲学史に名を残すわけです。

だから「私はいない」って言いたい・証明したい人達が、一定数いる。

その背景を知らないと、なぜ熱心に「私はいない!」って言っている人がいるのか、不思議でしょうね。

もし「我」がいないとしたら、どうだと思います?

悩む私、苦しむ私、でもそもそもその私がいないのだとしたら、悩みも苦しみも幻である。

嬉しい私、幸せな私、でもそもそもその私がいないのだとしたら、喜びも幸せも幻である。

ざっくりいえば、ノンデュアリティ(非二元)はそんな考え方。哲学上の思考実験です。

私とあなたの境界線が無くなる場所ってあります。

たとえば山の頂上であったり、たとえば洞窟の中の海中であったり。

山頂にたたずみ、海に浮かぶと、自分と自然は一体となり、「私」という分離した感覚は消失し、溶け合います。悩みも苦しみも無く、ただ陶酔感を味わいます。

だから、ノンデュアリティの境地は

「山の上は気持ちいい」

って言っているようなものだなあと、受けとっています。

同時に、人生は、山頂だけじゃない。登りも下りもふもとも、あるいは山以外の野や都市もある。

山頂や海中という、自然だけの世界なら、「私」がいなくてもいいし、そんな境地に自然になります。

しかし人工の世界には、人がいます。

私がいて、あなたがいる。

「私」も「あなたも」もいて、「喜び」「苦しみ」を味わいながら、成長していく。「私」と「あなたも」がいるから、「喜び」も「苦しみ」も味わえる。

それが私達の生活している場です。山頂・海中じゃない、人工の場所です。

山の上は気持ちいい。だから??ってこと。

私達は山の上にはいないのだから。

一時的に行くことは可能だけど、行ってもすぐ下りなきゃいけないですしね。

【著書】

26万部突破♪『成功している人は、なぜ神社に行くのか?』(八木龍平・著/サンマーク出版)



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