文部科学省にとって最も効率的な学び方は国民にとって最も効率的な学び方ではなく、

厚生労働省にとって最も効率的な働き方は国民にとって最も効率的な働き方ではないというのは明白でしょう。学び方や働き方には課題が山積ですね。

 

学び方で言えば、教師確保や授業カリキュラムの作成のため、年齢でクラスを分け、過去の行事をなぞっている。その結果、生命の大切さも人権も社会も知らない生徒が何をやればいいかもわからないまま大学に入ってバイトする。そのまま、給料がよく休みが多い企業に就職する。

就職したら、その企業のローカルルールを覚えて、企業文化に染まってイエスと言う働き方、ノーというには休むしかない。

やはり、端から見ると、誰にとっても効率的でなく、幸せでもない、そういう学び方と働き方にしか見えないですね。

もちろん一部の教師や関係者や生徒は今の制度でも、しっかり頑張っているのでしょうが。

 

やはり、何と言っても必要なことは、一人一人の個人を強力にサポートする仕組みです。習熟度や興味や得意不得意を踏まえて、得意を伸ばし、不得意を何とか解消するサポート。よって、個人別カリキュラムなどはAIの力も利用して、システムで解決することやカウンセリングの充実が必要じゃないでしょうか?

特に、行政と民間の中間の存在が社会の効率化に寄与できるように思います。そこに、行政は資金を投入すべきのように思います。

 

ただ、教育の目指す目標の内容はそろそろちょっと考え直した方がいいように思います。

理想的な生徒像などは、「どこにもいない抽象的な個人」を想定しているような気がしますが、やはり、まずは、自分の生命の大切さ、他者(人、人以外の動物・植物)の生命の大切さ、自然の大切さ、他者(特に人)との敬愛。そういった知識を自然の中で仲間と習得し、

現実の社会の仕組みを国語、算数、社会、理科、芸術、体育で理解し、自分がこうなってみたいという夢や希望を持たせ、初めて専門的な自然科学や外国語の習得にも身が入るというものじゃないでしょうか?そういうことが人間の教育の基本のように思います。そしてそれが最も効率的であるように思います。今の教育はクイズ的な楽しさでしか生徒をリードできないように見えます。それでは、勉強を強いることには少々無理があるように思います。

 

人間は脳で記憶していることしかアウトプットされないと思いますので、

ベースとすべきことはしっかり教育しておく必要はあると思います。

そういうことそろそろ皆さん気付いていると思うのですが…。

 

社会人を見てても、明らかに、ベースが欠けているんじゃないかと思うことよくありますよね?

でも、そういう人たちもちゃんと教育を受けて、カウンセリングもできていたら救うこともできたんじゃないかって思いませんか?

 

雑感ですが…。