働き方として、働かせ方として、社会人の労働のしかたとして考えた方がいいということで、働く時間を規定することだけの話ではないように思います。
働く時間を短くする意味だけで使われているような気がするのは…気のせいでしょうか?
やはり、そういった意味だけではなくて、労働に関わる社会通念やしくみを考えなおした方がいいと思うんですよね。
実際に社会の課題がある。戦後の働き方の通念がある。
大雑把に言えば、会社のために、休日出勤や残業は当然という通念、
そのために、軽視された家庭時間、地域の交流時間、個人の自己啓発時間など、
その結果、失われた文化や国際競争力や自然環境や農村風景や地域交流や家庭の時間など…
それでは、これから日本はどうなりたいのか、日本社会はどうしたいのか?
それを踏まえての、労働に関わる働き方の効率化を進めるために、どういう働き方を進めるのか?
そういった背景を踏まえて、総理は働き方を考えているのだろうと想像しているのですが、そこまで考えての発言ではないような風ではありますね…。何となく。
そもそもの職業のあり方も見直してもいいんじゃないかなと思います。
例えば、スウェーデンで人気の職業第1位は、プロジェクトマネジャーです。会社員でなく、公務員でなく。そういうのもありだと思いますね。2年働き、半年休むとかの働き方も。
生涯1社か日雇いか、ってちょっと労働行政が脆弱ですよね。一人一人の働き方が尊重されて、保護される、チャレンジも許される、かつ、国際的な競争力を高めるしくみそういう働き方改革になるといいなと思うのです。
道徳や倫理観というものが、教育内容と実際が合っていることとか大事だと私は思うので、それは文化を含めて地域での活動が必要で、また、国際競争力を考えれば、社会人も学習を継続し、会社も進化することが必要なんじゃないかと思います。そのためには、フリーエージェントや継続学習や副業推進の働き方も必要かなと思っているのですが…。
そういった働き方もしくみとして持てるようになるといいんじゃないかと思うのです。日本的な生涯雇用も、好きなだけ働けるということも否定しませんが。