アートの専門家でもないのでたいそうなことは言えないのだが、
アートはとても大事なこと、アートを行うというのは重要なことであるように思う。
アートは世界を救う、社会を救う。
私はアーティストを本当に尊敬している。美術、音楽、演劇、落語…。
私のアートの定義ですが、
現実に対して、何かを創ることで、現実の定義をし直したり、現実の見え方を提示したりして、新たな感動や解釈を与える。
さらに、そういうことを行うことで、現実と現実以外のことにある境界を破壊する。
その破壊自体がアートであるように思う。
例えば、静物画の油絵を描くとする、静物という現実がある。
アーティストはそれを見て、見たいと思い、伝えたいという構図と対象を、
見ている視点から、伝えたい精密度や光度や彩度で伝える。
その作品を見た私は、現物と作品の差異を感じつつ、作品の思いに浸ることで、
現実から遊離した創造を現実と作品の境界を破壊した様を見て、私は現実から解放される。
そういうイメージだろうか。
落語で言うと、江戸の風景がある、残された風俗や話がある。
それに対して、オチをつけた作品がある。
また、その演目に対して、著名な落語家の噺がある。これも作品である。
また、その演目に対して、現代の落語家の噺がある。これが現代の作品である。
現実とそれぞれの作品の間には差異がある。境界もある。
それを破壊し、現代の噺を聞いて、江戸の風景を感じられること、それは一つの境界の破壊である。
著名な落語家の噺と現代の落語家の噺の境界を破壊すること、それも一つの境界の破壊である。
そういう破壊を行なっているのが、素晴らしいと私が感じ、アーティストを尊敬するところである。
マルセル・デュシャンの便器が凄いアートだと感じるのは、
その現実とその作品としての境界が激烈に破壊されていることで、
腕組みしてあの便器をじっと眺めている自身を含めてのアートであるというスケールの大きさだ。
アートがないと、社会が息苦しくなる。
アートは商売ではなく、ヒトの社会的な本能である。そういう意味では、皆がアーティストであるとも言えるのでしょうね。