首相の言う「楽しい社会」は消費税云々よりは希望があるが


楽しい社会を目指すとは、素晴らしいですね。


楽しいの定義は色々考えないとならないのでしょうが、


アメリカの占領下でも楽しいのか?


中国と仲良しでなくても楽しいのか?


クルマがある生活が楽しいのか?


料亭で旨いものを食って、銀座のキレイな女性と仲良くする生活が楽しいのか?


歌舞伎町のイケメンホストと仲良くするのが楽しいのか?


勉強なんかしなくて、空き地で皆んなで野球やサッカーやバスケをしてる子供が楽しいのか?


もちろん、歴史に学び、世界に学び、

どういう楽しい社会を目指すのかというのは、リーダーたるヒトたちは考えるべきでしょう。



ただ、前提として、

一人ではない社会でなければならない、

自分という存在が、

自分がほとんどを占めてしまうような社会であってはならない、

そういう気がします。


それは、家族か、地域か?

国家か、組織か、世界か?


やはり、楽しい社会の前提として、

家族や地域が個人を支えるしくみは必要だと思う。

政治家の間で、そういう議論がなかなか見えない。


2世議員や3世議員の周りには、

その利権を求めて、自然発生的に、

暖かい集団ができます。


だから、そういう楽しい社会の前提として、家族や地域が必要としていることに何も気付かない。

そんな感じがします。



楽しい社会

これを否定するのではなく、

早くその中身の議論をすべきですね。


青少年には希望を見せる。

壮年には救いを見せる。

老年には希望と救いを見せる。

そのためには、

主役となる投資対象を示さなければならない。


さて、そういう議論ってありましたっけ??


でも、明日の方が今日より良いと思うっていうのは大事なことだと思いますね。