最近の日本人は、承認欲求が強いように思います。自分のことを認めて欲しいという欲求です。


昔の日本人は、近所のおじさんやおばさん、同級生の両親、自分のおじいさんやおばあさんやおじさんやおばさんやいとこや親戚、先輩や後輩が

「君って、○○だよね」って、教えてくれてました。


賢いやら、男前とか、

愛嬌があるとか、笑顔がいいとか、

敏捷だとか、何とか。

自分がどういう人間なのか、

だいたいみんなが教えてくれたものだ。


今、みんな、教えてくれない。

親も、友だちも、兄弟も。


自分のことをできるヒトだと認めて欲しい。上の人種と認めて欲しい。


その権化が、国会議員や地方自治体の首長の立候補者。


その権化が、万一当選しようものなら、その達成感の行き先は、やはり間違った方向に行くに違いない。



自分の承認欲求が強すぎるヒトは、その分、周りを見ていない。周りは皆同じようなモノだとしか見えていない。

部下は部下。

ペットはペット。

虫は虫。

気に入らない奴は、いなくなればいい。


虫が嫌いという立候補者は気をつけた方がいい。

そのヒトは周りの存在を自分中心でしか見えていないからだ。



政治家の全てとは思わないが、自身の承認欲求が強すぎる方が目立つような気がする。



その政治家のせいだけではない。

みんなで承認し合う社会にしていないせいだ。

互いに、じっくりと観察して、意見して、会話し合う社会でないからだ。



政策を語らない政治家は、自己の承認欲求を満たすために立候補しているように見える。


ちょっと気になる。