2020年春、コロナ禍で人混みを避けるようになり、近所を散歩するようになった。

すると、ビルやマンションやアパートや一軒家の階段(外から見えるものに限るが)に目がいった。

気に入った階段もあれば、そうでもない階段もあった。時々は写真を撮った。

そこで思った。「どうして、自分は階段の写真ばかりを撮っているのだろう?」と。


しばらくして、横尾忠則さんの個展をみた。

おびただしい数の滝の写真があった。コラージュだった。

彼の滝は私のとっての階段なのだろうと。シンパシーを感じた。


多分、それに惹かれるのだ。


インドの浄水場、大正期の古い大阪のビル、とてもイカした階段があった。

写真をみると、行ってみたいと思った。ただ、みるだけでは足りなかった。


撮りためた階段の写真をプリントしてみた。

あっという間にインクが切れた。

それでも満足できなかった。


もっといい階段があるんじゃないか。

階段について、空想してみることにした。


そこで、続々階段百景として、100のイメージをかいてみることにした。


100くらいなら、まあ、簡単に思いつくんじゃないかと思ったのだが、

やはり、もちろんそんなことは無理で、苦労して絞り出すことになった。


中で59番目の階段が最も苦労したもので、何も頭に浮かばなかった。

よって、そういう色味になっている。血が滲むような。w



そして、ついに、97番目、これだと気がついた。



学生時代の匂いと感情とそういう楽しい気持ちと階段の景色が

記憶に刷り込まれていたのだ。


いい思い出といい思い出が連結して感情と共に記憶に刷り込まれる。

そういう思考の整理こそが、一つの思考の旅のようなものなのだ。


良い思い出と良い思い出を積み重ねて、思考の旅をする。それがいい。



やはり自分は暇過ぎるのか?

そういう訳でもないと思うのだけど。



P.S.これは、サクラの花びらによるもの。しかし、百って、頑張った感は自己にだけはあるような気がする。