やはり、どう死ぬかというより、
どのように生きるかという問いを整理しておきたい。
唯物論的には、
私たちは世界の一部ではあるが、
そういう意味では、
いてもいなくてもそれほど変わらない。
一方で、観念論的には、
私というのは、いるといないのでは、
0と1ほど違う。
言い換えれば、
「私」というのは、
「世界」から見れば
ほぼ「無」だが、
「私」から見れば
「私」は、
ほぼ「世界」という事。
「世界」から見れば、
生きる意味などない「私」にも、
無限大の生きる意味があるという事。
観念論的にはね。
つまり、観念論的に…
「私」には生きる意味がある。
だから、
自分が生きたいように生きれば良い。
自分の哲学とかが大事なのだ。
産まれて、
生きて、
自分で良かったと思える事を体験するために生きるのだ。
という事かな?