生き物が好きだとか、
自然が癒やしてくれるとか、
オゾン層の破壊が心配だとか、
気候変動が心配だとか、
いや、
緑など要らないとか、
今、まあ、生活できているんだから問題ないとか、
レクレーションとしての自然は楽しみとか、
過疎地域の活性化のためには、ある程度の自然破壊は仕方ないとか、
まあ、自然に対しての思いは、人それぞれで、現状認識も人それぞれ、仕方がない…。
という風潮に対して、
心配を感じている方もいるのでしょう。
政府や地方公共団体での政策や
現実問題としての公害が
問題として認識されると皆さんの意識も高まるのかもしれません。
その場合、二極化や単純化されやすいので、知識が深まる方向での議論は難しい。
やはり、乳児、幼児、児童、生徒の段階で、専門家としての学者や研究者や地域のボランティアやAIなどにより、しっかりと知識を深めるべきじゃないでしょうか?
最近の環境問題と言えば、気候変動なんでしょうが、これは、今のところ、ハッキリとした解はない部分もあるので、習ったことが誤っている可能性も高いのですが、生物多様性保全については、地域でしっかり体験して学ぶ分には間違いないのじゃないでしょうか。
解明されていない事もあるのでしょうが、わかっている事と現実と未来予測を皆で関心を持って、議論し続けることが大切で、場合によっては未来のために、方向転換することも考えられることが大切ですね。
原発も考え直しが可能なようにはしときたいですね。
最近では
太陽光発電や風力発電が気候変動対応として、建設必要と判断されています。
現実的な判断として、建設するケースが多いのですが、どれだけの生き物、動物や植物や微生物を殺してしまうのか、それを取り戻すことは可能なのか、検討や議論は継続することが必要なように思います。
また、生き物の宝庫と言われる場所があります。例えば、海、干潟、砂浜、川、自然林などなど。
そういう場所をたった何兆円かの利益と引き換えてしまっていいのか?火星に行けば済む話しとしてしまって、いいのか?
まあ20億年以内には、地球は太陽に近づき、住めない星になるのかもしれませんが、まずは、生物の一員としてのヒトとして、技術や思想を使って、生き物がより生きやすい環境を目指してもいいのではないかという気がします。
そういうスマートなシュリンクを目指す。
とか、
そういう知識を深める。
とか、
そういう議論をする。
とか、
そういう文化が作れるか?
いつ?どこで?
そもそも、
鴨長明の「方丈記」にもあるとおり、
日本は自然災害の多い国土である。
方丈記にあるようなスマートなシュリンクが国策として議論されてもいいように思います。
ちなみに、
野生の生物は、殺処分の10倍以上がロードキルです。犬やネコもやはり10倍以上です。
ヒトも含めて、生物の殺処分を避けるために道路の在り方は考え直してもいいかもしれない。飼い主の責任を訴えるのも必要でしょうが。
そう考えていくと、土地の所有とは生き物に対する責任が巨大です。あまり持たない方がいいかもしれません。
というのは言い過ぎかな?